ベトナムホ-チミンにて2日目

メコン川に向かう。



バスに揺られ時折大きな段差のある道を車は飛ばす。



車側には小型バイクの群れ。



埃の向こうには市の中心部を離れるに連れ、低くなる街並みとやがて広がる緑のメコンデルダ。




バスは川の畔で止まり、少し大きな木船でメコン川に繰り出した。




横褐色に波うつメコン。




船がが進むにつれ、ガイドの男性の言うところのメコンズスメル(Mekong's  smell)が漂ってきてやがて鼻をついた。




魚河岸(うおがし)の香りとスルメを焼く匂いが一緒になったような、しかし、どこから漂ってくるのかわからない謎の匂い。




その匂いの中を突き抜けて船は中洲に着く。




そこは、プランテーションと観光で生計を立てている町でした。





ここの人々はおいしげる植物に囲まれた道を使うよりも狭い水路を木の葉のような貴船で進むことの方を選び暮らしています。





ホウチミン市内のバイクとは違う合理性。




自然に委ねた人の営み。




メコン川はめんめんとその暮らしを眺めてきたことでしょう。





これが文化。





環境とそこに住む人が長い時間をかけて練りあげたもの。




私はここでは異邦人。





こちらが感じるエキゾチックな感覚は彼らにとっては日常です。





ふと思いました。





最近新聞を賑わう移民と多様性の議論を。





移民に関しては日本の場合は労働力としての側面を強く持ち、いわゆる左派の人達からは多様性という観点で語られます。





しかし、サイレントマジョリティたる大多数の日本人はどちらの観点であったとしても急激な変化は好まないでしょう。






欠けているのは時間軸だと思いまあす。





例えば、うちの愛猫のみみちゃんと後から突如きた小太郎の関係もそうでした。





今でこそ仲良しですが、小太郎がきた当初はみみは興味はあっても及び腰でむしろ迷惑がっていました。





メコンデルタがゆっくりと出来上がったように文化もまた人の思惑によるものでなく、長い時間とそれにつれゆっくり変化する環境の元で育まれていくのだと思います。





そうであって欲しいと願います。