3月31日で「中学校教師」を辞めました。


でも、この仕事が嫌になって辞めた訳ではありません。


15年間続けてきて、ようやく「やりがい」や「自信」が持てるようになりました。


その「ノウハウ」や「仕事術」を若い人たちに伝えていけたらいいなぁ。


そう思っています。






『落ちこぼれをつくらない授業』



授業をしていると、同じ教室の中に「できる生徒」「まあまあできる生徒」「まあまあできない生徒」「できない生徒」が混在しています。


そのどこに照準を合わせて授業をするのか。


それは教師によって違うため、度々議論になることがあります。


ついつい「まあまあできない生徒」に目がいってしまうものなんですね。


そうなると「まあまあできる生徒」や「できる生徒」が置いてきぼりになってしまう。


このことがよく問題点として挙げられます。


「できる生徒」にもっと目を向けるべきだ。

「できる生徒」たちを伸ばすことこそが教師の役割だ。


ごもっともです😊。


でも、私はちょっと違う考えを持っています。


私がいつも照準を合わせるのは「できない生徒」です。


「できない生徒」に照準を合わせるというよりは、『できない生徒になることを認めない』と言ったほうがよいのかもしれません。


「できない生徒」って、わからなくなった瞬間から授業の中心人物ではなくなってしまう。


「お客さん」になってしまうんですね。


教師も「きっとわからないんだろうな。」と思って「できない生徒」を段々指名しないようになってしまう。


『優しい配慮』です。


でも、その『配慮』が「できない生徒」をどんどん「お客さん」にしてしまう。


わからないまま、そっとしてあげてしまうのです。


そうなると、生徒は自分にこう言い訳をするようにます。


「私は数学苦手だから。」


それを認めてはダメだと思うのです。


だから『できない生徒になることを認めない』。


そのために、教師は「できない生徒」をつくらないことに力を注ぐ。


どの生徒も『できる可能性のある生徒』だと考える訳です。


きれいごとを言いたい訳ではありません。


でも、みんな『できる可能性のある生徒』だと考える。


だから、全員に同じように扱うのです。


むしろ私は「自信のなさそうな生徒」に指名をします。


そうすれば、「自信のなさそうな生徒」が教師とやり取りをするのが中心の授業になります。


授業の中心人物が「自信のなさそうな生徒」になるのです。


「自信のなさそうな生徒」は、教師とのやり取りをする中で「わかる」が増え「自信」がついていきます。


波に乗れるようになるのです。


でも、それだと「できる生徒」が不満なのでは?


そんなことはありません。


「できる生徒」は聞いているだけでも理解する力を持っています。


だから「できる生徒」を「お客さん」にしなければよい。


それだけのことです。


「自信のなさそうな生徒」を中心としながらも、「できる生徒」を必ず巻き込む。


難しい質問のときは「できる生徒」にスポットライトをあてるようにする訳です。


そうすれば、置いてきぼりになる生徒はいません。




『波乗りジョニー』


教師の役割は、生徒を「うまく波に乗せる」ことだと思うのです😊。


「波の乗り方」さえ教えれば、子どもたちは自分の力でどんどん波に乗っていきます。


だから、照準を合わせるべきなのは「できない生徒」なのではないでしょうか。


私はそう思います。