3月31日で「中学校教師」を辞めました。
でも、この仕事が嫌になって辞めた訳ではありません。
15年間続けてきて、ようやく「やりがい」や「自信」が持てるようになりました。
その「ノウハウ」や「仕事術」を若い人たちに伝えていけたらいいなぁ。
そう思っています。
発達障がいの子どもが親に対して「死ね!」と言う。
それに対して、お母さんは「気持ちが抑えられないんだよね。」と受け入れる。
何かが違うと思いませんか?
発達障がいの人は、『人に「死ね!」と言ってはいけない』ということを理解できないのでしょうか?
そんなことはありません。
ちゃんと理解できます。
ただ理解するのにちょっと時間がかかったり、方法を変える必要があったりするだけです。
時間をかければ、または方法を変えれば、ちゃんと『理解できる力』を持っています。
でも「障害」=「できない」という『間違った思い込み』が、私たちの中にあるような気がしませんか?
特別支援を担当していると、そういう『間違った思い込み』に出会うことがよくあります。
『きっとこれはできないだろう。』
『こういうのは避けた方がいいんじゃないかな。』
余計なお世話です。
大丈夫。彼らはちゃんとできますから。
「障害」=「できない」のではない。
「障害」があってもちゃんと『できる』のです。
その『できる力』を、私たちは信じてあげなければならない。
そう思います。
ある年、小学校ではほとんど『学級』には入れず、卒業式にも出れなかった子が中学校に入学してきました。
でも小学校の先生の話を聞いていると、この『間違った思い込み』が邪魔をしているような気がしたのです。
『卒業式は難しいかなと判断しました。』
『⚪⚪は苦手だから、難しいと思います。』
本人のことを一生懸命考えてあげているのです。
そして「できない」と思うことは、決して無理をさせない。
でも、話を聞いていて私は『できるんじゃないかな~?』と思ったんです。
だから、とりあえずみんなと同じ様にさせてみることにしました。
もちろん、いろんな手立てを組んで。
「できない時には、サインを送ってね。」という約束をして。
そしたら、ちゃんとできました😊。
入学式も、その後の学校生活も。
ちょっとジタバタするときもあります。
でも、子どもはみんな『できる力』を持っているのです。
それなのに周りが『できない』と思い込んでしまったら、『できる』ものもできなくなってしまいます。
ある年には、『特別支援学級(知的)』の数学を担当していました。
小学校の内容でもよくわかっていない部分もあったのですが、中学校1年生の『数学』の内容も教えることにしました。
私の中には、正直『できるかな?』という気持ちもありました。
でも、子どもたちは『みんなと同じ学習をしてみたい!』という気持ちがあるんですね。
頑張って勉強しました。
宿題もやってきました。
そして1年間で『正負の数の計算』『文字式の計算』『1次方程式(少しだけ)』までできるようになりました。
もちろん、時間はかかりました。
何度も「前に戻って」の繰り返しでした。
それでも彼らはちゃんと『理解』できた。
子どもたちはちゃんと『できる力』を持っているんですね。
私は始め、それを疑っていました。
『できるかな?』
あの時『できないだろう。』と判断してしまっとら、子どもたちはきっと「できない」ままだっただろうと思います。
「障害」=「できない」のではない。
「障害」があってもちゃんと『できる』。
その『できる力』を、私たちは信じてあげなければならない。
そのことを、子どもたちの姿から教えてもらいました。
不登校の子どもが親に対して「死ね!」と言う。
お母さんはそれを受け入れてしまう。
これも同じですよね。
もし『かわいそう』だと思っているのだとしたら、それは『間違った思い込み』です。
彼らは障がいがある訳でもない。
もし仮にあったとしても、「言って良いことと悪いこと」の区別くらいつきます。
みんな、ちゃんと『できる力』を持っているのです。
その力を信じてあげてください。
周りが『できない』と思ったら、どんなに『できる力』を持っていても宝の持ち腐れです。
『できない』という周りの間違った思い込みが、子どもたちの可能性を潰してしまう。
大丈夫。ちゃんと『できます。』
みんながその力を持っている。
だけど、ちょっと「すんなり」いかないだけなのです。
「すんなり」いかないのと『できない』のとは違いますよね?
『できる』と信じて、その「すんなり」いかない部分をどうすればよいかを考える。
そうすれば、子どもたちの『可能性』が動き出します。
子どもたちの『できる力』を、もうちょっと信じてみませんか?
