2018年3月31日で「中学校教師」を辞めました。


でも、この仕事が嫌になって辞めた訳ではありません。


15年間続けてきて、ようやく「やりがい」や「自信」が持てるようになりました。


その「ノウハウ」や「仕事術」を若い人たちに伝えていけたらいいなぁ。


そう思っています。








『可能性を信じる』




想像してみてください。


あなたは今、エレベーターに乗り込みました。


そこに、電動車椅子の重度の障がいのある方が一人で乗ってきました。


あなたはどうしますか?




どうしたらいいかわからなくなって、黙ってしまう人もいるかもしれません。


「何階ですか?」と声をかける優しい方もいらっしゃるでしょう。


では、障がいのある方と一緒に乗ったのが「学校の先生」だったら、どんな対応をするべきだと思いますか?


学校の先生なんだから「声をかける」のが当たり前だと思いませんか?


学校の先生なのに「黙っている」なんて、ちょっと信じられませんよね。





実は、このシチュエーション。


教員時代の『特別支援』の講演会の中で、東大の教授がお話されていたシチュエーションなんです。


東大教授はこの状況で、どうしたと思いますか?


答えは…




『何もしなかった』そうです😊。



自分の階を押すのでもなく、「何階ですか?」と聞くのでもなく『何もしなかった』。


そうすると、当然エレベーターのドアが開いたり閉まったりしますよね。


すると、障がいのある方が「すみません。⚪階をお願いします。」と言ったので、それからようやくボタンを押したそうです。





私はこの話を聞いたとき、とても感動したことを覚えています。


『教育の本質』がつまっている。


そう思いました。


東大教授は、なぜ『何もしなかった』のでしょうか?


意地悪ではないですよね。


もちろん「何をしてあげたらよいか」がわからなかった訳でもありません。


この私たちの中にある「何かをしてあげなければならない」という意識を絶ったのです。


何のために?


障がいのある方にも『自立』が必要だと考えるからです。






障がいのある方を見ると、私たちの中に「何かをしてあげなければならない」という意識が働きますよね。


障がいが重くなればなるほど、周囲のそういう気持ちは強くなります。


それって良いことだし、優しいことだし、時に必要なことでもあると思います。


でも、周りにそんな優しい気持ちが溢れていたら「やってもらうのが当たり前」になってしまうと思いませんか?


エレベーターに乗った時には、優しい誰かが「何階ですか?」と声をかけてくれるのが当たり前。


そうなると、自分から声をかける必要がなくなってしまう。


でも、いつも優しい誰かがいるわけではありません。


「やってもらうのが当たり前」では、いつまでたっても『自分でできること』を増やすことができません。


本当にその人のことを考えるのであれば、一緒に『自立』を目指すことが大切なのだと思います。



『教育』とは何か、考えさせられます。


『子育て』にもつながりますね。


自分(親)の気持ちよりも『子どもの未来』を大切にする。


一緒に『自立』を目指す。


そのためには、『その子の持っている可能性を120%信じる気持ち』が必要なのだと思います。


すごく難しいですね。


私自身、自分の子育てを振り返っても、うまくできていなかったと反省することばかりです。



『その子の持っている可能性を120%信じる』


大切にしていきたいと思います。