【学問の自由】学問の自由は、これを保障する。

 

≪私なり解説≫

○この憲法第23条で「学問の自由」が保障されているのは、戦前の京大事件(1933年)や天皇機関説事件(1935年)などで「学問の自由」が国家権力によって侵害された歴史があり、こうした事が再び起きないようにするために、(憲法第26条【教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償】とは別に)特別に規定されたものです。

○「学問の自由」の主体は、一般的に「すべての国民」と解釈されているようですが、後述のようにそうではない部分があります。

○「学問の自由」は、以下の4つくらいに分類できます。

 ①「学問研究の自由」、②「研究発表の自由」、③「教授(教育)の自由」、④「大学の自治」 です。

 ①の「学問研究の自由」は、狭義(狭い意味)の「学問の自由」です。学んで、研究することです。

 ②の「研究発表の自由」は、研究の結果を発表することができないならば研究自体が無意味に帰するので、当然「学問の自由」に含まれると解されています。

 ③の「教授(教育)の自由」は、その研究の成果を教授(教育)する自由です。

 ④の「大学の自治」は、「学問の自由」を保障するために、その管理運営が国家権力から独立して、大学自身の手によってなされなければならないという要請に基づいています(毛利透氏の「憲法入門」より要約)。「大学の自治」は、おもに学長・教授その他の研究者の「人事の自治」と、施設及び学生の「管理の自治」の2つに分けられます。

○前記分類③の「教授(教育)の自由」の現状については、問題があります。現在、判例により「教授の自由」は、大学その他の高等学術研究教育機関にしか完全には認められておらず、小・中学校及び高等学校では完全には認められていません。しかし、たとえ義務教育である小中学校には、教育の機会均等の要請から制約があるとしても、義務教育ではない高等学校では、教授(教育)の自由が完全に認められるべきだと私は思います。

 その「教授(教育)の自由」を制限する判例となったものは、「東大ポポロ事件」(最高裁昭和38年5月22日大法廷判決)と呼ばれるものです。

 

◎「東大ポポロ事件」とは

 昭和27年2月20日、東京大学内の教室において、同大学公認の学内団体「劇団ポポロ」が大学の許可を得て、松川事件(昭和24年の列車脱線転覆事故において当時逮捕された20名全員が昭和38年までに無罪が確定する冤罪事件)を題材にした演劇発表会を開催。その演劇に、警備情報収集のため入場した警視庁本富士警察署の複数の警察官のうち3人が、学生らに捉えられた。学生らは、同大学厚生部長立ち会いの下、再び学内に侵入しない旨の始末書に警察官に署名させ、警察官を解放。その一連の過程の中で、警察官のオーバーの襟に学生(被告人)が手をかけたり、警察手帳を奪うなどの暴行を加えたとして、被告人学生が暴力行為等処罰法1条1項違反で起訴される。奪われた警察手帳によると、警察官は少なくとも昭和25年7月末から連日のように東京大学内に立ち入って、張り込み、尾行、密行、盗聴等の方法により、学生、教職員、学内団体等の調査・情報収集を行っていたことが判明する。

 第1審(東京地判昭和29年)は、「本件における被告人の行為は、学問の自由と大学の自治に対する違法な侵害行為を排除し阻止するという意味を持つ正当な行為として、無罪。控訴審(東京高判昭和31年)も第1審とほぼ同様の理由で、検察官の控訴を棄却。これに対し、検察官が上告。上告審(最高裁昭和38年)は、原審(控訴審)判決と第1審判決ともに破棄し、東京地方裁判所に差し戻す。

 最高裁は、差戻し理由(抜粋)を、「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準ずるもの(一般市民の入場が可能だった)であって、大学の学問の自由と自治は、これを享有しない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を侵すものではない。」としている。ほかに最高裁は、教授(教育)の自由について、「教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれに含まれるものではない。しかし(中略)、大学において教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由は、これを保障されると解する。」とし、ほかに「大学の自治」について、あると認めた。

 

 裁判はその後、差戻第1審(東京地判昭和40年)で有罪、差戻控訴審(東京高判昭和41年)は控訴棄却、差戻上告審(最判昭和48年3月22日)は上告棄却し、事件発生から21年かかって被告人の有罪が確定する。(以上、別冊ジュリスト憲法判例百選Ⅰより要約)

 

※「東大ポポロ事件」への批判1

 大学以外に教授の自由を認めなかったことについて、学界からの批判は強かったようです。最高裁は、後の判決で、普通教育においても「一定の範囲における教授の自由が保障される」としながら、「完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されない」と述べています(最大判昭和51年5月21日「旭川学力テスト事件」)。

※「東大ポポロ事件」への批判2

 継続的な警察官による大学構内の警備情報収集活動が、学問の自由を侵害し萎縮させることを最高裁は不問に付しており、この点に批判が強くあったようです。また、芦部信喜氏著「憲法」では、「学問的活動か政治的社会的活動かの区別はきわめて困難な場合が少なくないのに、大学が正規の手続きを経て教室の借用を許可した判断を尊重しなかったことなど、疑問が多い。」としています。

 

○最後に「学問の自由」と「国歌斉唱」について、論じたいと思います。小中学校及び高等学校における「国歌斉唱」は、それぞれの「学習指導要領」で定められています。

 「学習指導要領」とは、学校教育法施行規則に基づき、学校の教育課程の基準として定められているもので、文部科学省に設けられた教育課程審議会の答申を受けて、小学校、中学校、高等学校別に作成されたもの(「ブリタニカ国際大百科事典」より要約)であって、文部科学省が作成する施行規則に基づいた指導要領ですので、「法的拘束力」が及ぶ(平成2年1月18日最高裁判決でも「法的拘束力」があることが確認できる)と理解できます。 

 小中高いずれの学習指導要領にも、一番最後の「特別活動」の項目で、なおかつ一番最後のページに「国旗掲揚」と「国歌斉唱」について書かれています。高校の学習指導要領では、296ページに「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱 するよう指導するものとする。」とあります。中学校は108ページ目、小学校は104ページ目にそれぞれ同じ文言で記入されています。なお、国旗と国歌は、1999年に制定された「国旗及び国歌に関する法律」で、国旗は「日章旗」、国歌は「君が代」と定められました。

 私としては、「国歌斉唱」が学校の学習指導要領に入り込むこと自体に、「個人の尊重」の観点から違和感を覚えます。そこで「学問の自由」のうちの「教授(教育)の自由」が高等学校等に完全に認められれば、「学習指導要領」に書いてある「国歌斉唱」をしない自由、権利が教師にあるのではないかと考えました。そもそも、高校では自由な教育が教師、学校によって任されるべきであり、学習指導要領などお仕着せのものはなくすか、あるいは小中学校の半分程度で十分ではないかと私は考えます。300ページ近くある学習指導要領を見ていると、「高校に教育の自由はない。」と感じます。そして、なぜ私が「国歌斉唱」の是非にこだわるかと言うと、一律強制は「全体主義」につながるからです。かつては強制ではなく、不起立の教職員に対する処分もありませんでした。1985年の文部省調査では、「卒業式では、小学校で72.8%、中学校で68.0%、高校で53.3%しか「君が代」が斉唱されていない。」(辻田真佐憲氏の『「君が代」斉唱はこうして強制されてきた』より引用)という状況でした。それが今やおそらくすべての学校の入学式、卒業式で「君が代」が斉唱されていることと思われます。児童や生徒は歌わなくても処分されませんが、教師は処分されるおそれがあります。歌の意味の取り方によっては、国民主権に反するという指摘もあります(判例では、そこまで踏み込んだものはまだありません。)。なぜこの歌が国歌なのか、この歌の意味は何なのか、なぜ入学や卒業の式典でこの歌が必要なのか、学問をする前に議論する必要があると私は思っています。

 

(参考) 国旗及び国歌に関する法律

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=411AC0000000127