今日は虹の橋を渡ったソーちゃんについてお話ししたいと思います。



ご注意ください。

この記事には虹の橋を渡ったあとの写真が含まれます。
苦手な方のために写真は「閲覧注意」の表示より後に掲載しています。








今年1月2日の22時22分
突然虹の橋を渡ってしまったソーちゃん。



普段なら薬を飲めばおさまっていたのに、その日は薬を飲んだ2時間後に発作が起きました。

最低でも6時間の間隔が必要。

頼みの綱はこれしかないけれど、
緊急事態でも私たちの判断では与えられません。






年越し

なんとなく薬の効き目が心配だったものの
一度でおさまったり症状も極めて軽く
様子を見ながらの年越しとなりました。




元旦
この日はいつもみたく歩いてみたり
普段と変わりなく過ごしてくれていました。

最期の力でそう振舞ってくれてたのかな。

お正月のおめかしだって別に必要ないのに
静かに抱っこさせてくれてありがとね






1月2日  
まだお昼頃はこうして寝ている時間がありました。


それが夜になって急変。





救急までは車で40分ほど。

いつもなら私たちのワガママを聞いて持ち堪えてくれていたソーちゃん。


10分ほどで到着する迎えの車を待ち
「すぐ来るから待ってね!!」と声をかけて撫でようとしたら、私の顔を見て一回だけ大きく大きく息を吸って静かに呼吸が止まりました。




「もういいよ」と言うように、
これまでのことを考えると急いでたかのように
待たずに虹の橋を渡ってしまいました。









この先 閲覧注意 です。






これまで何度も  何度も危ない状態を乗り越えて頑張ってきてくれたソーちゃん。






どの病院も閉まっている年始

救急も車で40分はかかる

時間的に薬も飲めない


そんな状況を選んでいたかのように、
あっという間に虹の橋を渡りました。






息はしっかりしながらも気を失って
(この症状は過去にもよくありました)


症状が落ち着くと意識を取り戻して


最後はほとんどこの状態でした。






後に呼吸が口呼吸へと変わっていきますが、
これまでにも何度も起きていた症状の一つ。


いつもなら落ち着いて鼻呼吸に戻るのに
この日は戻ることはありませんでした。



膝の上で発作が起きて痙攣が起きた時のために
ブランケットで必死に保護していたけど、
こうなると予想しておくべきだったよね。

ソーちゃんの過ごしやすいところ
落ち着けるところを選ばせてあげたかった。
暑くて苦しい思いさせちゃったかもしれないね。

ごめんね。











どれだけ泣いても泣き足らずに
空っぽになったケージを見るたびに涙が出て

虚しくて寂しくてどうしようもない日が続き
やっとこうして書くことができました。






ソーちゃんからしてみれば、
とっくに楽になりたかったのかもしれません。





身体が小さかった頃に初めて経験した入院。

入院中に虹の橋を渡る可能性があるなら
自分のそばで最期を迎えてほしくて
先生に頼んで自宅療養に切り替えました。

その日から生きようとしてくれたソーちゃん。

だからって少し頑張らせすぎちゃったかな。






こんなに小さかったんだね。




こんなに大きくなるまでお世話させてくれて





たくさん奇跡を見せてくれました










小さな身体で薬を飲みながら、毎日 毎日ギリギリの中で頑張ってくれていました。


思い出すとやっぱり涙が出るけど、本当に天使みたいに可愛くて、大切で、大好きだったな。






皆に可愛がられたソーちゃんだから、たくさんの人に会いに来てもらえるように、お友達がいっぱい集まる供養塔を選びました。



火葬場から四十九日が経ってから供養塔へ移動となります。

ソーちゃんが眠る場所についての詳細は改めてご報告させて頂きます。


お近くの方、お時間のある方は誰でもお参りして頂けますのでソーちゃんに会いに行ってもらえると嬉しいです。








これまでソーちゃんへのたくさんの応援、
そして毎日を支えるための物資のご支援など
ご協力下さりありがとうございました。

本当にたくさん たくさんお世話になりました!





これからもソーちゃんの事をふと思い出してもらえると嬉しいです爆笑

本当にたくさんの愛情をありがとうございました!!





ソーちゃん 、また絶対に会おうね