ここの御神域がものすごく良い香りがしていたんです。

 

6月14日  · 

白山比咩神社、お参りしました。

何故、金沢にきたのか?

二人とも謎の神社様です。

オイラ金沢に来る予定なかったし、

あっちゃんも、チェックつけた覚えがないけどクリップどめしてたのだそう、

金沢の、ポイントは、白山さんだけ

よばれたんだろうね。

わざわざわ、めちゃ遠回りしてます。💦

荒御魂神社様に、大歓迎されました。

本殿に入る前に、え!

このご神域は、なに?

だったのですが

素通りして本殿おまいりしてから、戻ってみたら、素敵な薫りにみたされてました。

ホオズキのようなフルーティーな甘い薫りなのに、何処を見回しても、フルーツはありません。

不思議な体験しました。

お水も美味しかったです。

 

白山比咩神社は、全国三千余社の白山神社の総本宮です。

何故、金沢にきたのか? 二人とも謎??の神社様です。

 オイラ金沢に来る予定なかったし、 あっちゃんも、チェックつけた覚え無いけどクリップどめしてたのだそう、

 金沢の、ポイントは、白山さんにオイラたちお呼ばれしちゃったみたい。

能登に行くつもりがわざわざわ、めちゃ遠回りしてますもん💦

 荒御前神社様に、大歓迎されました。 

荒御前大神、日吉大神、高日大神、五味島大神の4柱が祀られているそうです。

本殿に入る前に、え! このご神域は、なに? だったのですが 素通りして本殿おまいりしてから、

鳥居をちゃんとくぐって戻ってみたら、素敵な薫りにみたされてました。 

白山比神社神門近くに位置する境内摂社の荒御前(あらみさき)神社。

荒御前大神他三神が祀られており、仲哀天皇の皇后であった神功皇后の三韓征伐時の守り神となったとされている。

ホオズキのようなフルーティーな甘い薫りなのに、何処を見回しても、フルーツはありません。 

不思議な体験しました。

 

荒御前神社様の鳥居近くの手水舎が龍神様でした。

調べたら白山中居神社は縄文時代からの遺跡があるの。

巨石もあるので住めるところがあったのだと思うよ。クナト信仰のある場所で、要塞の要素を多分に持っていたのよ。

縄文時代は戦闘がなかったのだけれど、弥生時代約3000年前から戦いの場所になった歴史があって、侵略されやすい場所だったと思われるのよ。

 

崇神天皇の創建になってるのが白山比咩神社なので紀元前1世紀の事。

今から2100年前。

海外からの外敵が多い海岸が治安が悪い時代だったのよ。

徐福が来たのが紀元前2世紀のことだから、

その頃から戦いに明け暮れる時代の幕開けよ。

蘇我市の勢力が力を持ち始めた頃に馬場があって神功皇后の時には新羅≒蘇我氏 が治めていた場所だったの。

白山には応神天皇仁徳天皇の時代に増えた前方後円墳が多いのよ。

聖徳太子の暗殺して力を持った者が8世紀になって乗っ取りした場所なの。

遣唐使の630年以降に渡来した人だと思う。

藤原不比等という人。

 

そこから藤原王朝が今に続いているのよ。天皇家に嫁を入れることで覇権を握っているの。

修験道が入ってきた時代で真言密教が幅を利かせて、剣の象徴をおいたと思われるわ。

その後、要塞として武人が訪れる場所でもあり、修行の場であり、馬場だったので馬を乗りこなす絶好の場所だったのかもしれないわ。

オイラは摂社に秘密があるのを見つけてるの。

今の白山信仰は藤原家の治める神社になってるのですが、オイラは白山比咩神社の神様に呼ばれたのよ。

でも、本殿に呼ばれたのではなくて、隣の摂社の神御前神社様に呼ばれたの。

 

 

ハヤアキツヒメと早秋津ヒコ

 

 

大友皇子(おおともおうじ)⇒弘文天皇 または伊賀皇子(648年~672年)
  天智天皇の第一皇子。母は伊賀采女宅子娘(いがのうねめ・やかこのいらつめ)。

 

景行天皇12年の創祀で、雄略天皇9年に護国
鎮護のため剣を奉納したと伝えられています。
養老元年(717年)に泰澄大師が白山中居神
社の社域を拡げ、社殿を修復しています。

 

白山神社 千葉
社伝によると、天武天皇元年の壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)この地に逃げ延びて暮らした

(自刃)したとされる伝説が多く残されています。

西法花寺古墳(垂仁天皇皇子息速別命墓)

西法華寺(法花寺)古墳という考古学的名称が有り、

一辺35m程度の方墳とされています。

伊賀一帯で唯一の円筒埴輪を伴う古墳として知られてる。

 

時代的には弘文天皇を伊賀に連れ帰りお祭りしたのかも知れません。

第11代垂仁天皇と、丹波道主王の娘の薊瓊入媛(あざみにいりひめ、阿邪美能伊理毘売命<あざみのいりひめ>)の間に生まれた皇子である。同母妹として稚浅津姫命(わかあさつひめのみこと、阿邪美都比売命<あざみつひめ>)がいる。

丹波と豊鍬入姫命

息速別命(いこはやわけのみこと[1]/おきはやわけのみこと[2]、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本皇族

第11代垂仁天皇皇子である。

 

白龍神社のご祭神は高龗神(たかおかみのかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)です。

---end

金沢に来たので博物館を見ようとおもつたら、水曜日が休みなのね。せつかくだから、隣接してる、兼六園を見る事にしました。外人観光客が非常に多いです。

素敵な博物館なのに、おやすみだなんて残念ですわ。

金沢に来たので博物館を見ようとおもつたら、水曜日が休みなのね。

兼六園を散策することにしました。

あっちゃんに言わせると、富の象徴のような場所だねって。

自然の炊きは鋤だけど、人工の滝には興味がないと言われました。

結構楽しんで散策した割には辛口 (^_^;)

 

すれ違うのは外人で、色んな国からの観光客が日本人より多いです。

此処は、フランス語が飛び交い、時々韓国人とすれちがい、メルシーと、言われる世界でしたわ。

英語圏の人は、どこの国かは、聞かないとわからんわ。

英語はあまり飛び交ってなかった。

ま、数少ない、日本人観光客のオイラ達でしたわ。

兼六園には、沢があつて、金を沢で洗い流していたので、金沢という名前になったと書かれておりました。

へーそうなんだ。

金沢の由来は、ゴールドラッシュだったのね。

現在歴史館として使われてるレンガ倉庫群は、建設された当初は、兵器庫だったのだそうです。

その後学校になり、博物館になったとかいてました。

素敵な博物館なのに、おやすみだなんて残念ですわ。

 

兼六園を跡にして 輪島へ向かいます。

 

なると ヒカルさんの投稿の写真

興津比咩神社様 お参りしました。 三つ巴の紋章でした。

6月15日  ·

興津比咩神社様 お参りしました。

三つ巴の紋章でした。

古事記』に「大年神(おほとしのかみ)・・・天知迦流美豆比売(あまちかるみづひめ)を娶(めと)りて、
生みし子は、奥津日子神(おくつひこのかみ)。
次に、奥津比売命(おくつひめのみこと)、亦(また)の名は、大戸比売神(おほへひめのかみ)。
此(これ)は、諸人(もろひと)が以(も)ち拝(をろが)む竈(かま)の神ぞ。
次に、大山咋神(おほやまくひのかみ)、亦(また)の名は、山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)
此(こ)の神は、近淡海国(ちかつおふみのくに)の日枝山(ひえのやま)に坐(いま)し、
亦(また)、葛野(かづの)の松尾(まつを)に坐(いま)して、鳴鏑(かぶら)を用(もち)ゐる神ぞ。
・・・次に、大土神(おほつちのかみ)、亦(また)の名は、土之御祖神(つちのみおやのかみ)」とある

6月14日  · 

輪島市内のおんせんです。

塩泉で、とても良いお湯でした。

二人で、960円と、リーズナブルで、

シャンプーリンス整ってて、何より佇まいがオシャレ!

お掃除も行き届いていて、気持ちよかったです。

 

なると ヒカル

6月14日  · 

興津比咩神社にお参りしました。

三つ巴でした。

輪島塗りを見学させて頂きました。 職人さんのとても良いガイドで、輪島塗りをしりました。

 

6月14日  ·

輪島塗りを見学させて頂きました。

職人さんのとても良いガイドで、輪島塗りを知りました。