「道の駅 湯の川」の朝です。

6月7日  · 

出雲みちのえきからおはようございます。

今朝5:15頃の朝日です。

出雲みちのえきからおはようございます。 今朝5:15頃の朝日です。

6月7日  · 

荒神谷遺跡みてきました。

レプリカで復元しています。整列してるんですよね。

 

銅剣に刻印された❌を誰も何の印か?論じないでしよ?その秘密は、神社の千木にあるのよ!

伊勢との違いは、明白ですよ、

千木が ❌が出雲勢力です。 

九州にも、たくさんの神社様は、❌千木があります。 

出雲王朝は、とても広い範囲でその名残をのこしています。 

 

吉野ヶ里は、荒神谷が、滅びた時と同時期に滅びてます。 

同じ❌の刻印された、銅剣が見つかってますよ。 

当時百与国の存在が魏志倭人伝に記されてます。吉野ヶ里が、出雲勢力と、繋がりがあった証拠があるので、交易の可能性は考えられます。 末社を大切に保存して来た日本人だから、古代の歴史の流れが消えずにあります

加茂岩倉遺跡では草刈りの作業員が道路に寝そべって休んでました。

のどかですわ。わら

学芸員の方とお話もできました。

 

遺跡にあるのは、殆どがレプリカで、本物は歴史博物館に大切に保存されています。

 昨日

 出土した、銅鐸、同県銅矛の埋めた時期は、2世紀と分かってるのですが、それが作られた時期は、それぞれの出土品によってまちまちなのだそうです。 大きめの銅鐸は、飾られ?祀られ?ていた可能性が高く、比較的新しい紀元後ですが、磨かれた?痕跡の残る銅鐸は、使われて居た可能性が高く、紀元前4世紀に遡ってしまう品もあるそうです。

 

紋様が、長い間磨かれて角が取れて薄くなってるのですって! 

オイラは今一度出雲大社に戻り確かめてきました。出雲の紋章には、❌があります。

  

加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸は、一カ所からの出土としては全国最多です。全国で約470個余り出土している銅鐸のうち、合計50個もの銅鐸が出雲から出土してます。

 

 

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なかむら けんいち
レポートありがとうございます♪
銅矛がキレイに並べられて埋まっていたのが謎ですよね〜。
戦で敗れたのではなく、文字通り国譲り(無血開城)だったのか?
だとすると、しめ縄が逆にされてる黄泉の国として扱われた説明がつかない。
何か分かったら是非教えてほしいです♪

中谷 仁美
じっくり見て確認出来て良かったですね❤️貴重。考察楽しみにしてます。出雲は何回も入口にされてきた。スサ族とか良い様に伝わる違和感。(今のヤマト朝廷に繋がるからね。)よく地球を一巡り、二巡りして渡来じゃなく帰ってきたといってるが
元からの縄文各日本民族とは明らかに違う。わかってるだけで1万2000年続いた縄文。所有欲、覇権欲、奪取、全統一、騙す、戦うがなかった民族。渡来はまったく違うやん。今や国際縄文学会⁉️トップはロス茶らしい。背のりは、もうたくさんだ。

---end

 

 

 命主社を見てなかったから、行ってきました。

少彦名神社ではなく、その親神のカムロギさまをお祀りされてました。 

出雲の原点です。。命主神社(神魂伊能知奴志神社)の本殿のうしろ、真名井遺跡だった、時間なくて見逃した。。。

ここ真名井遺跡は縄文時代から古墳時代、さらには室町時代にまでおよぶ多くの遺物が出土しているそうだ。

その中でも有名なのが硬玉製勾玉や銅戈である。

 

命主社の境内に入ると、最初に目にするのが「ムクノキの大樹」です。

このムクノキの大樹は樹齢 1,000年といわれ、高さ17m・根本まわりが12mもあるそうです。

命主さま、かむろき様だわ! 少彦名さまが、カムロギのご子息です。

日本書紀には高木産霊尊の 落し子と書かれてます。

どうしても!確かめたかったの。

ここに行かなくちゃいけなかったのよ。

ここが出雲の原点だわ!

6月7日  · 

出雲駅です1910年明治43年)10月10日国有鉄道山陰本線荘原駅 - 当駅間の開通に伴い、

同線の終着駅として出雲今市駅(いずもいまいちえき)が開業

何故か、出雲に^_^ 戻ってきて、出雲駅みにきました。 

大正13年(1924)2月に新たに建造されたのが、2代目の現駅舎です。

ここだけ、まるで異国なんです。

実際に電車が入ってきて、観光客が沢山いらっしゃっていました。

 

 

あっちゃんは出雲の参道でお買い物してて、

オイラがどうしても確かめたかった所に行ってきたの。

出雲駅周辺でlineでやり取りしながらやっとあっちゃんミッケ。(笑)

 

少し遅くなったとあっちゃんに注意されながら、

6月7日  · 

ライスはんばーかあ!

うんまかったわ!

どうしても!確かめたかったの。

 

 

移動中の車の中で、ライスハンバーグ食べながら (笑)

 

出雲から移動して

佐太神社様 お参りしてきました。

夕方近くでお日様が西の空に低くなっていました。

『『出雲国風土記』の記載

『出雲国風土記』(733年)には、佐太大神の誕生神話が記されている。

 

“加賀神崎(かかのかんざき)。窟(いわや)がある。高さは一十丈ほど、周りは五百二歩ほどである。東と西と北とに貫通している。
[いわゆる佐太大神(さだのおおかみ)がお生まれになった所である。お産まれになろうとするときに、弓矢がなくなった。

 

そのとき御母である神魂(かみむすひ)命の御子、枳佐加比売(きさかひめ)命が祈願なさったことには、「わたしの御子が麻須羅神(ますらかみ)の御子でいらっしゃるならば、なくなった弓矢よ出て来なさい。」と祈願なさった。

 

そのとき、角の弓矢が水のまにまに流れ出た。その時弓を取っておっしゃったことには、「これはあの弓矢ではない。」とおっしゃって投げ捨てられた。また金
の弓矢が流れ出て来た。そこで待ち受けてお取りになり、「暗い窟である。」とおっしゃって、射通しなさった。

 

そこで御母の支佐加比売命の杜がここに鎮座していらっしゃる。今の人はこの窟のあたりを通る時は、必ず大声をとどろかせて行く。もし密かに行こうとすると、神が現われて突風が起こり、行く船は必ず転覆するのである。] ”

 

       (島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)

佐太神社様の近くにある田中神社🥰歩いて散策

ちょっと道に迷いながら、どっから入るの???

と言いながら やっと鳥居見つけました。

消防の管理建物から、見えては居るけれど入れない・・・

 

川まで一旦でてから回り込むように鳥居が有るのでした。

ということで田中神社? と佐太神社どんな繋がりが?

 

6月7日  · 

黄泉比良坂にも、昨日行って来ました。

驚いた事に、

 

 

 

 

😆 比良坂を登ると行き止まりでした。ということで、ここを管理してる神社様にお参りに行きました。

 更におどろいたのは、揖夜神社管理にお金を出してるスポンサーは、外様大名達だった事‼️ 

もしかしたら、黄泉の国は、韓国人支配の場所なのかもしれない

 

古事記によると、黄泉平坂でイザナギとイザナミは夫婦喧嘩するのよね。

6月7日  · 

港境、ゲゲゲの鬼太郎!ですわ

 

港境駅にはゲゲゲの鬼太郎! が沢山(笑)

港堺は 、お寿司でしょ?

ってことで、貧乏旅行中のオイラたちは、庶民的な回転寿司へ

 

 

今回の旅で始めての回転寿司屋さん。二人できっかり、3000 円だったわ。 

地物のイカとスズキが、やすくて、激うまでした。やっぱ地物だわね!

 

お寿司を食べて、お腹いっぱいになって、温泉探し。

今日の温泉は、ヌルヌル温泉!お一人様850円だけど、移動を考えたら此処しか選択肢がなかつたわ。

 露天風呂も、一応あったし、ま、いつか、、、