田中 ヒロコ
12時間 ·
2023.3.31
千葉県印西市が誇る「吉高の大桜」
今朝早くに行って来ました
樹齢350年。毎年、詣でています。
桜も見事でしたが、菜の花の香りが
素晴らしくて、お浸しを食べている気に
なってしまいました~
投稿欄も見てね
おはよう 菜の花と桜が おとぎの国みたいだね
君が見てる その世界が
おとぎ話に 迷い込んだようで
報われない 昨日までの
現実から 抜け出せるかな
青空に向かい 桜色に染めて
地表を 埋め尽くす 黄色乃花
ここから新たな物語を始めよう
菜の花畑も凄いと思う!このコントラスト!
WOW! こんなに大きな巨木! 樹齢がすごいと思う婆さんコノハナサクヤヒメ(笑)
WOW!300歳!
このときから、さらに50年経っているので350歳ですって
ね香りがまた…\(^-^)/
オイラの妄想考察
古事記」に書かれている記述ではスサノオが先住民族の「保食神」オオゲツヒメを殺してその種族から大年神と宇迦之御魂が生まれている。
オオゲツヒメは『古事記』において五穀や養蚕の起源として書かれているが、
『日本書紀』では同様の話がツクヨミがウケモチを斬り殺す話として出てくる。
『古事記』ではスサノオが高天原を追放された後に出ているため、誓約後の勝ちに乗じて姉の田を壊したという記述と矛盾する。
『日本書紀』ではスサノオの昇天前に出ているので矛盾は無い。https://osanpo.yokohama/yaoyorozu.php?target=保食神
面白いのは保食神(縄文人と言うより、彼らとクロスオーバーしていた海洋民族で、縄文時代に種を持ち込んだ人たち)を祀っているのは太平洋側でしかも瀬戸内海にも居るということ。
このルートは塩土の叔父と重なる
鹽竈神社は塩作りの伝承者が創建した神社となっている。
塩作りに用いられた釜を作っていたのは、6000年前の福山の遺跡から出土していて、しかも彼らは船を描いた土器も残していてくれている。
三嶋(オオヤマツミ)の神様が回遊族で保食神(オオゲツヒメ)≒市場の交易の神様と深い関わりがあると推測しても良いと思う。イザナミイザナギが生んだ神様となっているのは渡来して集合されたと考えられる。
これを4000年前に起きた縄文人の村消滅は縄文中期が突然終わリ縄文後期へ移行している天変地異と、侵略が始まったスサノオ尊伝説と結びけて考えても良いと思う。
そして彼らは葦舟を持っていたという記述が「日本書紀」山幸彦が龍宮へ向かう際に塩土の叔父が載せた船が葦船だった。
ニニギが #木花咲耶姫 大山積神の娘コノハナサクヤヒメに会うときにも塩土の叔父が登場する。【短命の木花咲耶姫&長寿の磐長姫伝説】
「日本書紀」における塩土の叔父の役目は、今で言えば、交易する海運業であり、船主であり、塩つくり伝承者文化を運ぶ人であり、フェリーも営んでいた?(笑)
実際はもっと深く関わっているのだろうけれど、片鱗がしっかりと見えるように書かれている。
その拠点を掌握していったのがスサノオ尊だとしたら、
この図をみたら後の三島神社が掌握したんだろうね。
スサノオ尊伝説ではヤマタノオロチ伝説が有名になってますが、
侵略と考えたときには各地の神様に背乗りしていった感じが残っています。
氷川神社はアラハバキと言われていますが、元々は蛇の池で滝があり、飲水の神様が居たであろうと思います。日原鍾乳洞を見てきて、超古代人、石器時代には竜神信仰がすでにあったのだと思われます。
それに伴い、御嶽山≒馬橋稲荷神社の主祭神が 武蔵御嶽山の大麻等能豆神 おおまとのづのかみ (御嶽神社)です。
オイラが行った日原鍾乳洞が源泉 美都波能賣神 みずはのめのかみ 水脈の神様で飲水の神様 ウカノミタマ様のお使いが狐さん達。スサノオの娘たち 2500年頃に弁天様=市杵嶋姫(宗像3女神)がやってきたのだろうとおもいます。
武蔵御嶽山の創建がB1世紀ってことらしいわ。(地の神様)です。
その後、御嶽山の神様は山伏信仰・高野山信仰に捻じ曲げられます。
4000年前には武蔵野国に君臨していた神様をスサノオ尊が倒したのだと思います。
田中 ヒロコ
1日 ·
2023.3.30
ザ・春。
ひんやり冷えた朝霧
花びら 透かして 光通す
長く生き続けたこの場所
ひと時だけ、幹に虹をまとう
生きた証は、枝の数だけ
物語が 在るようで
心配いらない。堪えれるからと微笑むように
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田中 ヒロコ
8時間 ·
2023.3.30
本日の天照様。
日の出がホントに早くなりました
am.5:57。
田中 ヒロコ
2021.3.30
千葉県印西市・小林牧場・桜並木
きょうは桜吹雪