お写真提供は 田中ヒロコさん 通称 「まるちゃん」です

 

16菊花紋だね。こうしてみるとククリヒメって 太陽様だね。

 

Hikaru Narita オイラの妄想考察 

新羅から入ってきたスサノオ尊を祀る種族が祀っていたのが菊理媛。

エジプト文明にもその紋章が在るの。

エジプトは太陽神で、菊理媛は多分その末裔であり、女神様を祀っていたエジプト人は、ラーを崇拝するようになり女神を追い出すのよ。

たどり着いたのは日本だとして不思議がないの。4000~3000年前にね。

 

「日本書紀」読んでて、第9段の選書が高御産巣日神について書かれているの。この9段は代々受け継いだ行政王 日本の皇様で内閣だって感じたのよ。日本は祭祀王と行政王が居たらしいのよ。祭祀王としての天照は女性で、行政王は男性。世襲制で襲名して何代目かはわからんけれど、高御産巣日神は行政王として、大穴牟遅の国へ子孫を送っていたのね。ことごとく失敗して、大国主(葦原の中つ国≒出雲+越の国+東北日高見の国)に取り込まれて、当時の行政王である高御産巣日神の思い通りの行政が出来なかったの。それでニニギを阿蘇山噴火の収まった3000年ころに派遣したのが天孫降臨で、2700年前の神武東征とのタイムラインがぴったんこなの。

 

日本では新羅からの渡来の神様を祀ったとは書きたくなかったんだろうけれど、

(日本書紀には菊理媛が一書に一度しか出てこない)

 

 

 

「日本書紀」稗田阿礼が世界との整合せいに苦心して作った物語かもしれないけれど、日本書紀は系譜なので間違っていたら豪族から非難が飛んできたはずだからある程度の真実が折り混ざってるのよ。系譜だと思って読み解けば非常に面白いのよ。とするとエジプトから来た太陽神は菊理媛かなって。

 

縄文時代がいきなりストップするのが4000年前なの。八ヶ岳も青森も突然彼らが居なくなるのよ。それがスサノオが来た時代かも?天変地異を起こして大暴れした神様。4000年前から1800年間は富士山の噴火+隆起のあった時代。風の神嵐の神一書では海の神で、帰国子女の神様。元々はイザナギとイザナミの子孫で、母恋しくて泣いてばかりいた神様という表現をされているわ。海洋民族の倭寇の祖先が縄文人だからね。そして弥生の文化を纏って日本に帰国してきたのよ。そして狼藉大暴れするの。怒った天照様との兄弟げんかが契約(うけい)3300年前に阿蘇山が噴火して、またまた喧嘩と言うより移住したのよ。岩戸隠れからでてくるのは3000年前頃 でその頃の神様とニニギ降臨とは重なっている神様が多いの。同時代に生きていたのか、世襲して襲名していた可能性もあるからわからないんだけど、流れ的にはタイムラインはこんな感じだとおもうよ。

 

スサノオ尊の7代後の須世理姫が大国主の嫁さんだから3300年ころから弥生時代のオオナムチがやってきたの共タイムラインが合うのよ。

 

こうやって タイムラインを合わせると何が日本で起きたかがわかるの。そしてそれは世界とほぼほぼリンクしてるのよ。日本の高木産巣日は縄文人が大切にしてきた(三内丸山の神様)5500年前ね

 

三内丸山は他にない十字土偶をたくさん残してるのよ。彼らはポールを立てたの。すると日ノ影は十字に春秋彼岸が両手で南北が頭夏至と足冬至。これを身に着けていたと考えられてて、航海に必要なコンパスでもあった。北極星に合わせると東西南北がわかるのだもの。彼らは「天御中主」を崇拝していたの。そして太陽の動きも熟知していた。だからあのどでかい櫓を建てれたのよ。東西南北をしっかり把握していたのだから。

 

 

この子は仮面をつけてるの。この頃から下面の付ける習慣があったのは、顔を守る仕事をしていたから≒製鉄 元々彼らは9000年前からベンガラ扱ってたの。そして錐のようなものは作っていた。穴を開けるためにね。そして鎌≒草薙の剣も作っていた。鉄は溶かして打ち直すことができる貴重な素材で遺蹟には残っていないけれど、それを使わないと出来ない工作がたくさんあるのよ。彼らは4000年前の縄文寒冷化でこの地に住めなかったのよ。しかし、北から民族移動(アラハバキ)も激しくて侵略されたらしいの。

 

嘘ばっかりが流行ってるからね。(笑) タイムラインがメチャクチャな話ばっかりで、先日の大きな4世紀の蛇行剣の発見で2700年前の神武東征で亡くなったアジスキタカヒコネの剣とかいい出しててい思いっきり笑っちゃった。4世紀なら応神天皇から仁徳天皇の時代なのに(笑)https://www.asahi.com/articles/ASR1S7GQWR1RPOMB00P.html

 

「日本書紀」によるとヤマトタケルは10尺の大男だったの。約3メートルの巨人よ。当時普通に巨人が居たのだと思うよ。で彼の息子が仲哀天皇でその子供が応神天皇遺伝子的に巨人であって不思議ない話なのよ。だったら、2mの剣も振り回せる背丈なのよ。(笑)

 

そんな巨人が居るわけがない? 居るでしょ。オイラこれ見てどんだけ巨人だったろうって思ったもの。富岡八幡

 

神社(門前町)にあったのよ。

 

写真の説明はありません。

 

三島溝杭は高皇産霊尊の子 大山祇を主祭神にしてるのよ。 此花さくや姫はその子。隠された神様は美細津姫で三保の松原に降り立った、インドから来た神様(弁天様)弥生時代が始まった頃の話ヨ。遺跡からガラスや綿が見つかってて、彼女は大山祇の子を産むのよ。

萬幡豊秋津師比売命よ。

 

彼女の夫はオシホミミの尊天照さまのご子息でニニギのお父様。

4000~3000年前というのは火山がばかすかあちこちで噴火していたようなの。

八ヶ岳が住めない地になったので縄文人は移住してるのよ。流れをくむのが四国で徳島や土佐だったわ。九州にも移住したのだろうけれど、3300年前には阿蘇山が噴火していたのよ。海洋民族として、移住しないと暮らせないほど、天地が荒れた=スサノオが暴れた(;・∀・) 火山活動の影響のない場所への移住が考えられるの。

すると関西、四国中国地方には火山が少ないのよ。お引越しするわよ。

岩戸隠れからでてくるのは火山活動がある程度落ち着いたこの時代かもしれないわよ。3300年前の被害は、大分なんて何もない地だったと考えられる。縄文人は住みやすい場所を往ったり来たりしていた回遊族だったの。岩戸隠れから天照が出てから、数代経てからのニニギ降臨よ。それは世界情勢で九州に攻め入ってきた種族を防ぐためでもあった。主導したのは天照家では無くて大山祇だったのかもしれないわよ

 

 

 

そうなんだ (笑) そう考えると十字架って 光の影だった縄文(三内丸山)時代においらは飛んでいくわ。三内丸山には沢山十字架の土偶があって、独特なのよね。縄文人はポールをたてたのよ。その影が、お彼岸が両手の東西で南北が夏至と冬至を表すことをしってて、あのどでかい櫓建ててるのよ。そして縄文人は太陽の恵みのグザイを土器に入れて炊いて食べたの。それが汁だったのか。って改めて思うわ。キリスト教発祥夜ず~~と以前お話で5500年前ですよ。

 

桜は実をなさないから儚いわよね・・・

お写真提供は 田中ヒロコさん 通称 「まるちゃん」です

くるくるくるくるくるくる

花びらに朝露が光る。雨上がりに煙る空

桜色に淡く漂う霧の中ひとひらひとひら

 

命をつなぐ 心に残る思い 花びらと共に風に吹かれて

ひらひらと。ひらひらと その思い飛んで 消えていく

くるくるくるくるくるくる