「駆けつけ警護」で日本の若者(自衛隊員)が青森から

南スーダンへ旅立ちました。

もしかしたら、それが「最後の別れになるかもしれない

と心に覚悟を決めての旅立ちのような気がしました。

安全は 確保されていないからです。

戦闘になったら、

自己責任で銃を向けるしかないのです。

南スーダンの兵士は子供も多いのです。

2016-02-07-1454820324-6354383-Untitled2.png

彼らは何処から来たのでしょう?

ウガンダと南スーダンの地図で位置を確認してください。

ウガンダ北部における子ども兵問題と元少女兵へのインタビュー-テラ=ルネッサンスを訪問して  ーー引用ーー

2000年から2003年までの3年間、北部ウガンダの密林を歩き回った。その後政府軍によるLRAの掃討が勢いを増すと、ウガンダでの生活は非常に厳しくなった。2004年、彼女らは合計4回にわたって拠点をスーダン内へと移した

 スーダンに拠点を置いている間も何度か政府軍による掃討があったため、拠点を更にコンゴ民主共和国(以下DRC)へと移した(2006年)。彼女は常にLRA反政府軍と行動を共にしなければならなかった。それは幼い彼女にとって非常に辛く、大変なものだった。

f:id:KantaHara:20160130123854j:plain

DRCコンゴ民主共和国滞在時、脱走を試みた。脱走のリスクは大きかった。脱走に失敗し再度捕まれば、それに対する罰は非常に厳しく、非人道さを極めていた。時にそれは、命を失う事に繋がった。

「ある夜に他の仲間と脱走を試みましたが、捕まり、鞭で200回叩かれました。それからは脱走する事は諦めました。」

コンゴの密林を、反乱軍と共に動き回る。そんな生活が長く続いたある日、子どもが産まれた。幼い子どもを連れながら、政府軍から逃れるため森の中を走るのは非常に大変だったと彼女は話す。子どもを抱き、銃を担ぎ、身の回りの物を背負い森の中を走る。筆舌に尽くしがたいほど、辛かった。

コンゴから中央アフリカに移動し、またコンゴに戻り…、そんな生活が長く続いた。2014年、彼女は政府軍に救出されたが、2000年からの実に14年間、彼女は「少女兵」としての生活を強いられた。

ーーーend--^

 

 

 

「子ども兵」として、生きた。~認定NPO法人テラ・ルネッサンス訪問~(前編) ―ー引用ーー

 90年代半ば以降、反政府軍である「神の抵抗軍(以下LRA)」による村の襲撃や子供の誘拐が多発し、約180万人の北部住民が国内避難民としての生活を余儀なくされた。
LRA反政府軍は戦力補強の為、毎晩のように村や国内避難民キャンプを襲い子供を誘拐、これが「子ども兵」問題に繋がる。LRA反政府軍は推定66000人の子供を誘拐、兵力の約8割を子ども兵に頼っていたとも言われる。

「LRA反政府軍は子ども兵を洗脳するために、自分の手で、肉親や兄弟、親戚を殺させるんだ。」

施設長のJimmyさんはそう語る。

ーーーend--^

 

「子ども兵」として、生きた。~認定NPO法人テラ・ルネッサンス訪問~

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう(*^-^*) ポチッとよろしく
人気ブログランキングへ

follow Hikaru on facebook ☞Hikaru FB Timeline

and twitter ☞ヒカル(反原発)

楽しく明るく暮らせるように繋がりませんか? ☞小さな蟻の会