こんにちは、HSPカウンセラーのhitomiです
私から見える世界ではごく当たり前のことですが、発達の特性を持つ人は多くいます。
もちろんHSC・HSPさんの中にも、HSPの気質に重複して発達の特性を持っている人、多くいます。
だから困っている、ということもあるのです
その特性が大きいと傍からもすぐにわかると思うのですが、特性が小さかったりギリギリだったりすると、本当にわかる人にしかわからない、そして「わからない人」からできない部分を繰り返し指摘されたりダメだと言われ続け、心をくじかれてしまう人が出てきます
本人も苦しい、理解できていないご家族もストレスの連続だったりする、そんなことが起こり得ます
特性が小さいからといって、特性を無いものと捉えることはできません。
…が、「特性が(少し)ある」ということを話題にすることさえ拒絶する、発達障害なんかじゃない!と否定の気持ちから頑なな拒絶心の人もいます。
そんなはずはない、バカなこと言わないでちょうだい、と祖父母に理解してもらえない、そう悩むお母さん方は多いです
たとえばADHD傾向をギリギリ程度持ってる子がいたとして。お勉強の成績などは普通だったとして。
学校の荷物の片付けや、部屋の片づけがちっともできないとします。多動がないので傍から気づかれないほどのADHD傾向です。理解は得られていません。親はだらしがないと腹が立って、叱り続け、小言ばかり。
さてその子の心の中をのぞいてみましょうか
子どもって、なかなか現実を言葉にできないですからね。なので大きくなったADHさんの言葉の一部をご紹介しますね。
●片づけって、1個ずつやればいいって考えてもプチパニックになる、片付けの優先順位がつけられなくて混乱する、色んなものが目に入るから気が散るしワーーッて状態
●片づけると物が見つけられなくなっちゃうし、自分の中では部屋に散らばっているようで「床の上に配置してある」感覚。そのほうが勝手がいいし楽。引き出しの中に仕舞い、見えない状態になったものは、次に探すことができなくて困る
●教科書が探せなくなっちゃう、同じ色、同じ形、似たようなものの中から1点を探すのは苦手
●プリント、捨てていいものなのかの判断がつかない、捨ててしまい困ったこともあるから
●片づけしなさいって言われると「私を片づけて、私を片づけて、私を片づけて」ってみんなに言われてる感覚、何からやっていいのかわからなくなって、どれに手を出していいかわからなくて固まっちゃう
●そもそも部屋が汚いことに気づいてない(見ようとしてないのかな、細部に関心がないのかも、焦点を合わせていない)
●どれも思い出の深い物で捨てることはできない
●物の特徴がうまくつかめていないから、探すことができないのかも。置き場所の検討がつかないから色んなところを崩して探し、めちゃくちゃにしてしまった部屋はもう片づけられない
へー、そうなんだ。そういう感覚を持っていたんだーって思いませんか?
だから片づけができないんです。ただの怠惰ではないんです。発達障害ほどではないからといって、発達の特性を無視することってできないでしょう
こんな方もいました。個人が特定されないように書きますが、その人は幼少期から勉強がとてもよくでき、その後も成績優秀、周囲の大人からは褒められ期待され、よい大学も出ました。
カメラアイ(写真を撮るように一瞬で記憶してしまう能力)の特性も持っていて、情報を映像で記憶してしまう、ノートなどとらなくても黒板に書かれた情報は瞬時に記憶してしまいテストではその情報を呼びだすことができる、そんな能力を持っていたのです
のちにこんな風に語ってくれています。「自分は頭が良かったのではない、たまたま発達特性の偏りが良い方向に出ていただけで、バランスの悪い人間だった。特性が抜きんでた所もあれば凹んだ所もあった、今となってようやくそれらがわかる、今はそれら能力が薄れ平均的な人間になってきたが、今のほうがずっと生きやすくこれで良いと思っている」
その人は感性の柔らかな部分を持ち、私は交流のなかでその人から良い影響をたくさん受けました
私からは、特性の凹んだところがちゃんと見えていてそこは可愛らしいなぁと思いながら付き合ってきましたが、私以外の人たちにはそういう部分が全くわからないようでした。本人が苦しんでいることがあっても、周囲の人たちはその理由が理解できないようで。ギフテッド、そういう子も不登校になりやすいと言われています
周囲との感覚のずれなど本人の困りごとは大きいのですが、それらは目に映りにくいんですね。
勉強など、周囲に充分ついていけてたから。
友だちづくりだって、普通にできていたから。
「普通」だと思う。「普通」だと決めつけてしまう。そういう理由で見る目が曇るってこと、あるのです
結論。発達の特性の偏りって、たくさんではなくても、存在することがあります。
困りごとが小さかったりギリギリだったりすると発達障害とは言われないのだけれど、でもだからといって発達の特性による問題がゼロなわけではない子がいる!
本人とても困っている。だから特性の存在は理解してあげてほしいのだけれど、その話題を、受け入れられない親や先生がいます。受け入れられない配偶者、受け入れられない家族がいます。
気づくことができたら素晴らしい! 全肯定、全承認できたら素晴らしい! すべての物事に素直に共感できたら素晴らしい
出来ないのは甘えじゃないんだもの。特性で仕方がないことでもあるんだもの。
そして気づくことのできる考え方ができれば、この世の対人関係は至極円滑になることでしょう。
そう、出来ない所じゃなくて、出来る所を見て肯定してあげればいいんだから! 出来ないところも肯定して個人を尊重できれば相手も幸せ!
こちらの本、ぜひ読んでください。
ギリギリの人たちのことも書いてある、良い本でした。
『発達障害』/精神科医・医学博士 本田秀夫先生