【子どもが自ら学ぶ】公文式教材の秘密/学力が伸びていく/自己肯定感も高まる/KUMONを超深掘り解説/自学自習/スモールステップ
https://www.youtube.com/watch?v=yu1tLtAWXRU
【ホリエモン】「AI」進化で「公文式」はどうなっちゃうの? 東大生の3人に1人が経験者しているという公文式メゾッドについて「堀江貴文」と「川上量生」が語る。
https://www.youtube.com/watch?v=MLR8unRuhwo
【公文式】ホリエモンの見解がズレ過ぎていたので反論しつつ、公文式の価値と効率的な活用法について提案します。中学受験の塾選びよりも前に検討すべき公文式について。
https://www.youtube.com/watch?v=9FL2biUwiZc
公文式教育:
学ぶ力は、やがて生きる力へ。
一組の親子の絆から生まれたKUMON
一人の父親の、わが子への愛情から始まった公文式教育法。
半世紀以上が経った今も、その思想は脈々と受け継がれ、
多くの子ども達の「学ぶ力」を育み続けています。
きっかけは、一人の少年の算数の答案用紙でした。小学2年生の毅(たけし)少年のポケットから出てきた答案用紙を見た母親が、算数は得意なほうだと思っていたわが子にしては、あまりよくない点数がついていたのを心配し、当時高校の数学教師をしていた夫、公文 公に相談したのです。そこで父親である公文 公は、わが子のための学習教材をつくることにしました。その際に公文 公が留意したのは、「子どもが自主的に学習していく姿勢を育てることこそが教育者の務めである」と自らの考えを反映させることでした。
自主性を育むために、本人が自習で毎日無理なく続けることができ、かつ着実に学習効果を上げていけるように工夫を重ねました。高校で教鞭をとっていた彼は、計算力がないために多くの高校生が数学の勉強で苦しんでいることを知っていたので、計算力の養成に絞って、自学自習形式で学べる教材をつくりました。人から教わるのではなく、自分の力で解き進むことによってこそ本物の学力が身につくことを、自らの教育体験によって実感していたからです。
ルーズリーフに書かれた、手づくりの計算問題。それが今日の公文式教材の原型です。毅少年は、父親の考案した教材による毎日30分の自習でみるみる力をつけ、小学6年生の夏には微分・積分を学習できるまでにいたりました。また、請われるままに近所の子ども達を自宅に集め同じような方法で指導したところ、どの子の学力も目に見えて上がり始めたのです。「この方法で、一人でも多くの子ども達の可能性を伸ばしてあげたい」。1958年、公文 公は大阪に事務所を開設し、もっと多くの算数教室を開くことを決意しました。「自学自習で高校教材」を目標に掲げ、各自の能力に応じた内容を自習させることによって、一人ひとりの能力を伸ばす――公文式教育法の本格的な普及の始まりでした。
子ども達は本来、自分から伸びようとする力を秘めています。読み・書き・計算に取り組む過程で「やればできる」という自己肯定感を育み、「自ら学ぶ力」を育てていく。子ども達が将来自己実現を成しとげ、どんな時代でも夢や目標に向かってチャレンジしていける力、すなわち自分で自分の人生を切り開いていく「生きる力」を育てること。それがKUMONが考える教育です。父親のわが子への愛情から生まれたKUMONは、人から人へ、街から街へと広がり、今では言葉や文化・歴史の壁を越え、世界の国々に広がり続けています。
公文式 創始者 公文 公
(高校教師時代。昭和30年頃)長男・毅
(小学校2年生頃)
1954年公文 公が息子のために手づくりした原典教材(公文式教材の原型)
1959~1962年まで
活動拠点だった
大阪市の店舗の
一室を借りた事務局
公文 公と夫人が二人三脚で指導していた
豊中上野坂教室(1965年頃)
ブラジルで講演を行う公文 公(1994年8月)
公文 公(1914-1995)
高知県に生まれる。大阪帝国大学理学部数学科を卒業後、
母校土佐中学・高校、大阪市立桜宮高校などで33年間、数学教育に携わる。
1958年、大阪数学研究会創立(1983年、㈱公文教育研究会に社名変更)。
主な著書:『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)、『やってみよう』(くもん出版)、
『悪いのは子どもではない』(くもん出版)など多数。
公文式の創業者公文 公(くもん とおる)氏(1914-1995)
高校の数学教師だった公文 公(くもん とおる)氏(1914-1995)です。1954年、小学2年生の長男・毅(たけし)少年のために手作りした計算問題(ルーズリーフ)が原点となり、自学自習で可能性を伸ばす教育法が誕生、1958年に大阪で事務所を開設しました。
創業者と公文式のポイント
名前の由来: 創始者の公文公氏の名前から名付けられました。
誕生の背景: 当時高校数学教師だった公文氏が、長男の計算力低下を懸念し、毎日30分で確実な学力が身につく教材を工夫したことがきっかけ。
教育理念: 人から教わるのではなく、自分の力で解き進む「自学自習」を重視。
発展: 1955年に大阪府守口市で教室を開始。現在は日本国内にとどまらず、世界中で約400万人以上が学習する世界的な学習塾へ成長しました。
公文氏は「一人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしたい」という思いで、独自の学習法を全国・世界へと広げました
誕生ストーリー 公文 公(くもん とおる)物語
学ぶ力は、やがて生きる力へ。
一組の親子の絆から生まれたKUMON
一人の父親の、わが子への愛情から始まった公文式教育法。
半世紀以上が経った今も、その思想は脈々と受け継がれ、
多くの子ども達の「学ぶ力」を育み続けています。
きっかけは、一人の少年の算数の答案用紙でした。小学2年生の毅(たけし)少年のポケットから出てきた答案用紙を見た母親が、算数は得意なほうだと思っていたわが子にしては、あまりよくない点数がついていたのを心配し、当時高校の数学教師をしていた夫、公文 公に相談したのです。そこで父親である公文 公は、わが子のための学習教材をつくることにしました。その際に公文 公が留意したのは、「子どもが自主的に学習していく姿勢を育てることこそが教育者の務めである」と自らの考えを反映させることでした。
自主性を育むために、本人が自習で毎日無理なく続けることができ、かつ着実に学習効果を上げていけるように工夫を重ねました。高校で教鞭をとっていた彼は、計算力がないために多くの高校生が数学の勉強で苦しんでいることを知っていたので、計算力の養成に絞って、自学自習形式で学べる教材をつくりました。人から教わるのではなく、自分の力で解き進むことによってこそ本物の学力が身につくことを、自らの教育体験によって実感していたからです。
ルーズリーフに書かれた、手づくりの計算問題。それが今日の公文式教材の原型です。毅少年は、父親の考案した教材による毎日30分の自習でみるみる力をつけ、小学6年生の夏には微分・積分を学習できるまでにいたりました。また、請われるままに近所の子ども達を自宅に集め同じような方法で指導したところ、どの子の学力も目に見えて上がり始めたのです。「この方法で、一人でも多くの子ども達の可能性を伸ばしてあげたい」。1958年、公文 公は大阪に事務所を開設し、もっと多くの算数教室を開くことを決意しました。「自学自習で高校教材」を目標に掲げ、各自の能力に応じた内容を自習させることによって、一人ひとりの能力を伸ばす――公文式教育法の本格的な普及の始まりでした。
子ども達は本来、自分から伸びようとする力を秘めています。読み・書き・計算に取り組む過程で「やればできる」という自己肯定感を育み、「自ら学ぶ力」を育てていく。子ども達が将来自己実現を成しとげ、どんな時代でも夢や目標に向かってチャレンジしていける力、すなわち自分で自分の人生を切り開いていく「生きる力」を育てること。それがKUMONが考える教育です。父親のわが子への愛情から生まれたKUMONは、人から人へ、街から街へと広がり、今では言葉や文化・歴史の壁を越え、世界の国々に広がり続けています。
公文式 創始者 公文 公
(高校教師時代。昭和30年頃)長男・毅
(小学校2年生頃)
1954年公文 公が息子のために手づくりした原典教材(公文式教材の原型)
1959~1962年まで
活動拠点だった
大阪市の店舗の
一室を借りた事務局
公文 公と夫人が二人三脚で指導していた
豊中上野坂教室(1965年頃)
ブラジルで講演を行う公文 公(1994年8月)
公文 公(1914-1995)
高知県に生まれる。大阪帝国大学理学部数学科を卒業後、
母校土佐中学・高校、大阪市立桜宮高校などで33年間、数学教育に携わる。
1958年、大阪数学研究会創立(1983年、㈱公文教育研究会に社名変更)。
主な著書:『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)、『やってみよう』(くもん出版)、
『悪いのは子どもではない』(くもん出版)など多数。
https://www.kumon.ne.jp/origin/toru/index.html
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公文式の創始者である故・公文公(くもん とおる)がわが子のために計算問題を手づくりしたことから始まった公文式。「この方法で、一人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしたい」と、人から人へ、街から街へと広がり、世界の国々に広がっています。そこには、創始者の想いを脈々と受け継ぎながら「目の前の子どもたちの可能性を引き出したい」と、よりよい指導法を追求し学び続ける指導者がいます。指導歴43年の元公文式指導者 武井知子さんをお招きして、KUMON広報部長の景山と対談を行いました。前編では指導者と共によりよい指導法を追求し続けた創始者の想い、公文公の人となりを伺いました。
https://www.kumon.ne.jp/kumonnow/topics/vol520/
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創始者の公文公(くもん・とおる)氏(1914-1995年)。高校の数学教師を長年務めた公文氏は数学教育と同時に、読書教育も大切にしていた
公文式の創始者、公文公(くもん とおる)が、1954年に当時小学2年生の長男・毅(たけし)くんの算数の成績(計算力)を心配し、自宅で手作りの計算ドリルを作って指導したのが始まりです。毅くんは毎日30分の学習で力をつけ、小6で微分・積分を解くほどになり、その成果をもとに教室が広まりました。
公文公と息子・毅(たけし)の関連ポイント
誕生のきっかけ: 公文公は高校の数学教師でしたが、妻から息子・毅くんのテスト点数が悪いことを聞き、自ら教材(ルーズリーフ)を作成しました。
「自学自習」の原点: 答えを教えるのではなく、息子が「一人で解ける」ステップを意識した教材でした。
劇的な成果: 学習開始から5年で、毅くんは高校数学(微分・積分)を修了しました。
その後の毅さん: 神戸大学経済学部を卒業後、後に株式会社公文教育研究会の社長を務めました。
この手作りの教育法は「公文式」として、現在では世界中で学ばれています
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くもん とおる
公文 公
生誕 1914年3月26日
日本の旗 日本・高知県長岡郡大津村
(現:高知市大津)
死没 1995年7月25日(81歳没)
日本の旗 日本・大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
出身校 大阪帝国大学理学部数学科(理学士)卒業
職業 中学校教員・高等学校数学免許教員、海軍兵学校海軍文官海軍教授、教育者
著名な実績 公文式の考案・創設・普及
敵対者 遠山啓(ライバル関係)
配偶者 公文禎子
子供 公文毅(息子)
「数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ」というのが公文の長年の主張
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%96%87%E5%85%AC
公文教育研究会
https://www.kumon.ne.jp/corporate/company/index.html
連結売上高, 940億39百万円(2025年3月決算). 連結経常利益, 167億17百万円
KUMON(公文式・くもん)
株式会社 公文教育研究会
代表取締役社長 田中 三教
所在地 <大阪>
〒532-8511
大阪府大阪市淀川区西中島5丁目6番6号 公文教育会館
地図を見る
<東京>
〒108-0074
東京都港区高輪4丁目10番18号 京急第1ビル 12階
地図を見る
創立 1958年7月(昭和33年)
設立 1962年8月(昭和37年)
資本金 44億18百万円(2025年3月決算)
連結売上高 940億39百万円(2025年3月決算)
連結経常利益 167億17百万円(2025年3月決算)
拠点数 国内48カ所、海外65カ所(2025年7月現在)
従業員 KUMONグループ全体 3,626人(2025年3月現在)
くもんの先生の収入は、生徒数や教室形態(自宅か貸会場か)により異なり、月額10万円〜25万円程度が目安です。生徒数35名で約10〜13万円、90名で18〜25万円が目安となります。指導費は生徒からの会費から会場費・ スタッフ人件費・ロイヤリティ(約4割程度)を引いた額が利益
公文の利益率は?
・営業利益率20%超を生み出す、強力なフランチャイズ・ビジネスモデル。 ・自己資本比率64.7%、利益剰余金800億円超という盤石な財務基盤。 ・海外学習者数が国内を上回る、グローバルな収益構造
公文式のブログ
http://ameblo.jp/miraidoor74
公文教育研究会
https://www.kumon.ne.jp/corporate/company/index.html
公文式のブログ連結売上高, 940億39百万円(2025年3月決算). 連結経常利益, 167億17百万円(2025 ... KUMON(公文式・くもん)
株式会社 公文教育研究会
代表取締役社長 田中 三教
所在地 <大阪>
〒532-8511
大阪府大阪市淀川区西中島5丁目6番6号 公文教育会館
地図を見る
<東京>
〒108-0074
東京都港区高輪4丁目10番18号 京急第1ビル 12階
地図を見る
創立 1958年7月(昭和33年)
設立 1962年8月(昭和37年)
資本金 44億18百万円(2025年3月決算)
連結売上高 940億39百万円(2025年3月決算)
連結経常利益 167億17百万円(2025年3月決算)
拠点数 国内48カ所、海外65カ所(2025年7月現在)
従業員 KUMONグループ全体 3,626人(2025年3月現在)
くもんの先生の収入は、生徒数や教室形態(自宅か貸会場か)により異なり、月額10万円〜25万円程度が目安です。生徒数35名で約10〜13万円、90名で18〜25万円が目安となります。指導費は生徒からの会費から会場費・スタッフ人件費・ロイヤリティ(約4割程度)を引いた額が利益
公文の利益率は?
・営業利益率20%超を生み出す、強力なフランチャイズ・ビジネスモデル。 ・自己資本比率64.7%、利益剰余金800億円超という盤石な財務基盤。 ・海外学習者数が国内を上回る、グローバルな収益構造
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公文式の創業者は、高校の数学教師だった公文 公(くもん とおる)氏(1914-1995)です。1954年、小学2年生の長男・毅(たけし)少年のために手作りした計算問題(ルーズリーフ)が原点となり、自学自習で可能性を伸ばす教育法が誕生、1958年に大阪で事務所を開設しました。
創業者と公文式のポイント
名前の由来: 創始者の公文公氏の名前から名付けられました。
誕生の背景: 当時高校数学教師だった公文氏が、長男の計算力低下を懸念し、毎日30分で確実な学力が身につく教材を工夫したことがきっかけ。
教育理念: 人から教わるのではなく、自分の力で解き進む「自学自習」を重視。
発展: 1955年に大阪府守口市で教室を開始。現在は日本国内にとどまらず、世界中で約400万人以上が学習する世界的な学習塾へ成長しました。
公文氏は「一人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしたい」という思いで、独自の学習法を全国・世界へと広げました
誕生ストーリー 公文 公(くもん とおる)物語
学ぶ力は、やがて生きる力へ。
一組の親子の絆から生まれたKUMON
一人の父親の、わが子への愛情から始まった公文式教育法。
半世紀以上が経った今も、その思想は脈々と受け継がれ、
多くの子ども達の「学ぶ力」を育み続けています。
きっかけは、一人の少年の算数の答案用紙でした。小学2年生の毅(たけし)少年のポケットから出てきた答案用紙を見た母親が、算数は得意なほうだと思っていたわが子にしては、あまりよくない点数がついていたのを心配し、当時高校の数学教師をしていた夫、公文 公に相談したのです。そこで父親である公文 公は、わが子のための学習教材をつくることにしました。その際に公文 公が留意したのは、「子どもが自主的に学習していく姿勢を育てることこそが教育者の務めである」と自らの考えを反映させることでした。
自主性を育むために、本人が自習で毎日無理なく続けることができ、かつ着実に学習効果を上げていけるように工夫を重ねました。高校で教鞭をとっていた彼は、計算力がないために多くの高校生が数学の勉強で苦しんでいることを知っていたので、計算力の養成に絞って、自学自習形式で学べる教材をつくりました。人から教わるのではなく、自分の力で解き進むことによってこそ本物の学力が身につくことを、自らの教育体験によって実感していたからです。
ルーズリーフに書かれた、手づくりの計算問題。それが今日の公文式教材の原型です。毅少年は、父親の考案した教材による毎日30分の自習でみるみる力をつけ、小学6年生の夏には微分・積分を学習できるまでにいたりました。また、請われるままに近所の子ども達を自宅に集め同じような方法で指導したところ、どの子の学力も目に見えて上がり始めたのです。「この方法で、一人でも多くの子ども達の可能性を伸ばしてあげたい」。1958年、公文 公は大阪に事務所を開設し、もっと多くの算数教室を開くことを決意しました。「自学自習で高校教材」を目標に掲げ、各自の能力に応じた内容を自習させることによって、一人ひとりの能力を伸ばす――公文式教育法の本格的な普及の始まりでした。
子ども達は本来、自分から伸びようとする力を秘めています。読み・書き・計算に取り組む過程で「やればできる」という自己肯定感を育み、「自ら学ぶ力」を育てていく。子ども達が将来自己実現を成しとげ、どんな時代でも夢や目標に向かってチャレンジしていける力、すなわち自分で自分の人生を切り開いていく「生きる力」を育てること。それがKUMONが考える教育です。父親のわが子への愛情から生まれたKUMONは、人から人へ、街から街へと広がり、今では言葉や文化・歴史の壁を越え、世界の国々に広がり続けています。
公文式 創始者 公文 公
(高校教師時代。昭和30年頃)長男・毅
(小学校2年生頃)
1954年公文 公が息子のために手づくりした原典教材(公文式教材の原型)
1959~1962年まで
活動拠点だった
大阪市の店舗の
一室を借りた事務局
公文 公と夫人が二人三脚で指導していた
豊中上野坂教室(1965年頃)
ブラジルで講演を行う公文 公(1994年8月)
公文 公(1914-1995)
高知県に生まれる。大阪帝国大学理学部数学科を卒業後、
母校土佐中学・高校、大阪市立桜宮高校などで33年間、数学教育に携わる。
1958年、大阪数学研究会創立(1983年、㈱公文教育研究会に社名変更)。
主な著書:『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)、『やってみよう』(くもん出版)、
『悪いのは子どもではない』(くもん出版)など多数。
https://www.kumon.ne.jp/origin/toru/index.html
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公文式の創始者である故・公文公(くもん とおる)がわが子のために計算問題を手づくりしたことから始まった公文式。「この方法で、一人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしたい」と、人から人へ、街から街へと広がり、世界の国々に広がっています。そこには、創始者の想いを脈々と受け継ぎながら「目の前の子どもたちの可能性を引き出したい」と、よりよい指導法を追求し学び続ける指導者がいます。指導歴43年の元公文式指導者 武井知子さんをお招きして、KUMON広報部長の景山と対談を行いました。前編では指導者と共によりよい指導法を追求し続けた創始者の想い、公文公の人となりを伺いました。
https://www.kumon.ne.jp/kumonnow/topics/vol520/
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創始者の公文公(くもん・とおる)氏(1914-1995年)。高校の数学教師を長年務めた公文氏は数学教育と同時に、読書教育も大切にしていた
公文式の創始者、公文公(くもん とおる)が、1954年に当時小学2年生の長男・毅(たけし)くんの算数の成績(計算力)を心配し、自宅で手作りの計算ドリルを作って指導したのが始まりです。毅くんは毎日30分の学習で力をつけ、小6で微分・積分を解くほどになり、その成果をもとに教室が広まりました。
公文公と息子・毅(たけし)の関連ポイント
誕生のきっかけ: 公文公は高校の数学教師でしたが、妻から息子・毅くんのテスト点数が悪いことを聞き、自ら教材(ルーズリーフ)を作成しました。
「自学自習」の原点: 答えを教えるのではなく、息子が「一人で解ける」ステップを意識した教材でした。
劇的な成果: 学習開始から5年で、毅くんは高校数学(微分・積分)を修了しました。
その後の毅さん: 神戸大学経済学部を卒業後、後に株式会社公文教育研究会の社長を務めました。
この手作りの教育法は「公文式」として、現在では世界中で学ばれています
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くもん とおる
公文 公
生誕 1914年3月26日
日本の旗 日本・高知県長岡郡大津村
(現:高知市大津)
死没 1995年7月25日(81歳没)
日本の旗 日本・大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
出身校 大阪帝国大学理学部数学科(理学士)卒業
職業 中学校教員・高等学校数学免許教員、海軍兵学校海軍文官海軍教授、教育者
著名な実績 公文式の考案・創設・普及
敵対者 遠山啓(ライバル関係)
配偶者 公文禎子
子供 公文毅(息子)
「数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ」というのが公文の長年の主張
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%96%87%E5%85%AC