物には魂があると誰に言われるわけでなく

幼少、自然とそう思うようになっていた。


多分、明治を色濃く残していた大正時代から生きている祖父母の影響だと思う。

昭和中期世代の両親から、そういった昔からの日本の風習や習慣は教わっていない。


妹が乱暴に物を扱うので、

「物にも心がある」

私が怒って注意すると、

妹は母に聞いた。


ママ、物に心があるの?


母は、そんなものあるわけない、と

サラリと言った。


それが印象的だった。

私は残念な気持ちになった。

自分が否定されたような気もして悲しくなった。というより、見捨てられた気持ちになった。


当時、母は二十代か三十代前半。


母はボランティア点字をしたり、

優しい人なのだろうけど、

冷たい人の印象がどこかにあり、

多分、幼少から受け入れられてる感覚、安心感は私には薄かったのかもしれない。


おそらく、母も私が苦手だし、

娘としては大切だろうけど、

あまりお互い相容れない人種ではないのだろうと思う。


母親が、父親に溺愛される長女に抱く複雑な心理は、多分にあると思う。


岡田斗司夫が、容姿が良い女の子の母親は

ブスだと言って最初に潰すとユーチューブで言っていたが、アレは本当だ。


自分自身、今では自分は普通の容姿だとようやく気付いたが、大人になるまで自分はブスだと思い込んでいた。


母が、私が物心つく前からずっと言っていた。

あなたが生まれた時はパパそっくりでショックだった。私に似てなくパパによく似てる。


そして母は父親をブサイクだと常々言っていた。三段論法的に私もブサイクだということだ。