去年の8月24日に書いたブログ

映画『汚れた英雄』の主人公は平忠彦だった!

が,ありがたいことになぜか今アクセス数がすごく多い.

なんでだろう?不思議である.

 

当時国内で大好きだったレーサーは平忠彦だったが,

海外に目を向けるとやっぱりそれはフレディー・スペンサーだった.

https://honda.lrnc.cc/_ct/17219391  より

この写真はケニーロバーツと世界チャンピオンを争い,始めてチャンピオンとなった1983年のものである.

 

乗っているのはホンダのワークスマシン,500cc3気筒のNS500.

 

実際に,彼の走りを初めて見たのが1983年の鈴鹿サーキットで行われた日本グランプリだった.

 

その時の映像があったので載せておく.

1983年 FREDDIE SPENCER IN SUZUKA

https://www.youtube.com/watch?v=FsKYN9NBzzU&feature=emb_rel_end

直接貼れないのでリンクだけ.

 

予選タイムがそれまで平忠彦が持っていたコースレコードを一気に3秒も短縮してしまうという驚異的なものだった.

 

上のYouTubeの画像の中の後半で,片山義美が言っているが非常に柔らかい走りなのである.

 

その年の全日本チャンピオンが平忠彦だったが,ヘアピンからの立ち上がりの映像を比較して解説しているおり,素人の私にもわかる.

 

実際,この時はヘアピンのほぼ真ん中辺で友人と見ていた.

 

デグナーカーブを立ち上がって,立体交差下を通ってヘアピンカーブ手前の緩い右コーナーに向かってまっすぐに走ってくるのだが,その走り方がほかのライダーたちとまるで違った.

 

コースの左端を毎回まっすぐに向かってくるのである.

 

ほかのライダーたちはデグナーから立ち上がって,多少コース中央よりに振れたりするのだが,一切そういうことがないのはスペンサーだけだった.

全く無駄がなく,ものすごくスムーズなのである.

 

そしてこれが,当時の実況中継された映像である.

1983 日本GP フレディ・スペンサー

スタートから一人異次元の走りをしている.
 
日本のチャンピオン,平忠彦も全く歯が立たなかった.
当時ヤマハに所属しており,汚れた英雄では1番のバイクに乗っている木下恵二は,1周目のスプーンの二つ目のコーナーでスペンサーについていこうとして転倒してしまった.
 
汚れた英雄は,おそらくこの前年に撮影されたものだと思う.
 
この日本グランプリがフレディーの一番早かった時なのではないかと思う.
生で見られて実に幸せだった.
 
そんなこんなでバイクレース好きの自分自身もバイクに乗っていたのである.
 
の最後のほうでちらっと書いたが,当時のことを思い出しつつ
自分の乗ってきたバイクについて書いてみる.
 
運転免許試験場へ行き,原付の免許を取った後,
先輩から一番最初にただでもらったバイクがこれ↓だった.
ホンダベンリーCD50
 
おそらくスーパーカブと多くのパーツが共有されていたのだと思う.
ロータリーシフトのバイクで時速80kmを超えるくらいのスピードが出せた.
シフトダウンの時には,後ろ側のペダルをガツンとかかとで踏んづけていたような記憶がある.
 
このバイクに乗っていての思い出が一つ.
 
夜中公園内の道路を走りに行こうといって,数人の友人と走りに行った.
 
その帰り道,片側4車線はあるだたっぴろい道路の真ん中で,下りだったこともあり軽く80kmは出ていたところで,いきなり後輪がロックしてしまった.
 
シートと荷台の間あたりにタオルを挟んでいたのだが,それが後輪に絡まってタイヤが完全にロックしたのである.
最初何が起きたのか全く分からず,なぜか後輪がふらつくなあくらいに思っていた.
 
そのうち後輪が回っていないことに気づくのだが,バイクは全く止まらない.
 
ただひたすら路面の上を滑り続けた.当然リヤブレーキをかけても何の変化もなし.
すでに後輪は止まっている.そして氷の上を走っているように滑ってる!
 
恐る恐るフロントブレーキをかけつつ,徐々に道路の左端へと寄って行った.
 
幸い周りを走る車はなく,一緒に走りに行った仲間たちだけがいた.
 
後ろのほうを走っていたので,仲間たちはそのまま走って行ったが,自分は何とかバイクを道路の左端に止めることができた.
 
よく転倒しなかったと思う.
当時,原付はノーヘルOKの時代であり,当然ヘルメットなどかぶってはいない.
転倒してたら死んでただろうなぁって思ってしまう.
 
幸いにも,バイクを止めた場所は当時住んでいた場所に近かったので,そのままバイクを歩道において自分の家までは歩いて帰ったのである.
 
後日,バイクを歩いて取りに行き,そのままたしか廃車にした.
 
数か月も乗ってなかったかもしれない.
 
そして,二台目に乗ったバイクがこれ↓だった.
スズキハスラー50
 
これは,前とは違う先輩からもらった.
 
これは,そこそこの期間乗ったように思う.といっても半年も乗ってはいない.
CD50は4ストークエンジンだったが,こいつはたしか2ストロークのエンジンだった.
 
何がダメになったのかは覚えていないが,不具合があってこれも自分で廃車にした.
 
そして3代目がこれ↓
このバイクも,別の先輩からもらった.
悲しいくらいスピードがでない..
 
50kmをちょっと超えるくらいしか出なかった.
 
このバイクに乗って,大型トラックがバンバン通る国道23号線を通って鈴鹿サーキットへよく行ってたものである.
怖いもの知らずというかなんというか?
 
次のまた違う先輩からバイクをもらえることになった.
台風の時に倒されてしまい,ハンドルがちょっとおかしいけどくれるというのでもらった.
そのままでは乗れないので,近所のバイク屋へもっていき修理をお願いした.
 
修理代は1万円かからなかったか?
 
そのバイクがこれ↓
ホンダMB5
 
2ストロークエンジンで,こいつがすこぶる早いのである.
 
時速90kmくらい出るので,街中でも何のストレスもなし.
 
ビーーーンという独特のエンジン音を発しながら走る.
これで鈴鹿サーキットへ行くのに随分と楽になった.
 
当時の先輩たちの影響により,月に一回くらいせっせとワックスかけをして
思いっきりきれいにして乗っていた.
 
原付を4台乗り継ぎ,そろそろステップアップしたいと思い,当時の小型自動二輪の免許を運転免許試験場で取った.
試験は3かいくらい落ちて,4回目くらいに通ったか.
 
そして,これまた先輩からもらったバイクがこれ.↓
ホンダXL125
たしか,MB5も乗りながらこれにも乗っていたように思う.
 
ただ,エンジンがかかりにくいという欠点があり,だからこそタダでもらえたというのもあるが,比較的短い時間で廃車にした.
 
4ストロークエンジンであったが,125は原付に比べると圧倒的に早い.
 
そして,とうとう自分のお金で125ccのバイクを新車で購入したのである.
先輩からもらって1万円弱で修理して乗ってたMB5は当然下取りである.
 
金額は覚えていないが,きれいに乗っていたということもあり,2万円くらいになったような..
 
そして,購入したバイクがこれ↓.
ホンダMBX125F
 
当時はやりの16インチのフロントホイールで2ストローク水冷エンジン.
何馬力だったかは忘れたが,なかなかのものだったはず.
 
上の写真には付いていないが,一人しか乗れないように後ろのシートにレーサー風のカバーのようなものをつけていた.
 
ちょっとレーサー気取りである.
 
高性能なだけにブレーキ性能も高く,購入して3日目くらいに道路を左に曲がろうとしたとき人がいて,思わずブレーキを掛けたらフロントがロックしてしまいスコーンっとスっ転んでしまった.
 
フロントのフェアリングにおもいっきり傷がついて,メーターパネルが割れるという被害であった.
 
身体のほうはちょっと痛かったけど,怪我はなく,でもめちゃくちゃ悲しかった.
 
フェアリングは,色を塗ってごまかしたけど,メーターパネルは交換するしかなく,バイクを購入してお金がない時なのに,さらにお金が無くなってしまった.
 
それ以降,転倒も事故もなく,かなり長い期間(といっても2年くらいだったか?)乗った.
 
生まれ故郷や,当時地方都市に住んでいたので,東京にも行った.
 
生まれ故郷では,気持ちよくカットんでいるところをパトカーにつけられ,一発免停のスピード違反もあったが,違反はたしかこれともう一つ,黄色車線での追い越しだけだったか.
 
125CCなので原付よりははるかに長距離乗れるようになったが,何しろ高速道路に乗れないのである.
 
だんだん250ccのバイクに乗りたくなり,まずは当時の中型免許を取った.
小型自動二輪と自動車の免許はすでに持っていたので,中型の時には教習所へ通った.
 
学科はなく,実際にバイクに乗る教習も3回くらいで終了し,試験も一発合格!
 
一週間くらいで中型二輪の免許を取った.
 
そして,購入したのがこれ.↓
ホンダFREEWAY250
 
MBXは当然下取りで,いくらだったかは全く覚えていない.
 
こいつはスクターなのである.当然クラッチはない.
なので,左手と左足がフリーである.
 
4ストロークの単気筒エンジン.
スタートするときはただ右手をグイっとひねるだけで何のテクニックもいらない.
そこそこ加速は早いのである.
 
高速道路も何度か乗ったが,時速80くらいは何ともないが
時速100kmを超えるとちょっと怖い.
 
なんともフロントが安定しない.
 
写真のように後ろの箱もつけて,二人乗りもできるようにしていたけど,結局二人乗りはしたことなかった.
 
この前に乗っていたMBX125Fのほうが遠乗りはしていたかも.
 
こいつには3年くらい乗ったかなぁ?
 
クルマを購入してさすがに手放した.
ほぼ二束三文の値段だった.
 
以上,7台もバイクに乗り継いできてバイクは卒業した.
 
最近,ちょっと出かけるのにバイクも欲しいなぁと思ったりもするが.
今,事故って怪我したら医療機関に大変な迷惑をかけてしまうので,やめておこう(^^♪