皆さん、こんにちは。
例年にもまして紅葉の赤みが目に鋭くて、たびたび滲んでしまうような気がする今日この頃です。
10月27日、ドイツからヴィム・ヴェンダース監督がかねてよりの約束を果たすべく、新作『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を携えて「フォーラム福島」を訪れてくださいました。
新たな映像体験に加えて彼の真摯な言葉遣いを耳にして、古くからのヴェンダース映画のファンはもとより、若い映画ファンの皆さんにも、心揺さぶられる時間となったのではないでしょうか。
今日は、その模様の一部を紹介いたします。
新作『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』は、2009年に急逝した舞踏家ピナ・バウシュさんの残した舞踏の世界を、彼女の薫陶を受け、その死後も踊り続けている舞踏家たちの証言を織り交ぜながら、3Dで撮影したドキュメンタリー映画です。
ピナ・バウシュ、空間に対する鋭敏な感性と卓越した身体能力をもって、舞踏を室内から解放し、空気や風、水や土や自然光の中で、身体表現の極限を追求しようとした舞踏家。
ヴェンダースは、その空間の奥行きを、張りつめる肉体を、それらを装飾する自然の美しさを、3Dのカメラに収めました。ダンサーたちを包み込み、同じように上へ下へと舞い踊る落ち葉、彼らの筋肉に降り注いでは、はじけ飛ぶ水しぶき。ピナ・バウシュが作り上げた空間は、ヴェンダースの視線を通して鮮やかに私たちの目に焼き付けられました。
ダンサーたちの証言は、通常とは異なり、黙ってカメラの前に座る証言者たちの映像に、証言の音声が重なるという形で進みます。彼ら、彼女らの視線は、その先に実際にはいないはずのピナその人を追い求めているかのようです。
ピナ・バウシュと彼女の残した舞踏、彼女を惜しむ人々の思い、すべてが動きながら組み合わされ、かつて見たことのないダイナミックな映像表現となっています。今の私にはその衝撃をうまく表現できることばがありません。本公開のときには再見して、あらためて紹介できればと思っています。
さて、上映終了後、満員の観客の前にヴィム・ヴェンダース監督が登場しました。ひとつひとつことばを選ぶようにして、本当に真摯な面持ちで彼は英語で語り始めました。
「震災の後、世界のどの地に行っても、福島のことを考えていました。だから、一刻も早く福島に行きたいと思っていました。今日はお集まりいただき、ありがとうございます」
そして、フロアからの質問に答える形で、日本の大衆文化から受けた影響、ピナ・バウシュとの出会いと彼女についての映画づくりの経緯、彼女の突然の死による中断などについて語りました。
ピナの映画づくりを再開することになった経緯について聞かれ、彼は答えます。
「彼女のダンサーたちは、彼女が亡くなった後も、踊り続けていたからです」
耳にしたすべてのやりとりを採録することはできませんが、ヴェンダースの映画づくりとその思想の一端にじかに触れることのできた時間は何物にも代え難いものでした。
質疑応答の最後に彼は、観客に向かってこう切り出しました。
「あなたがたの助けになるようなことが、何か私にできますか」
実は、福島に到着して後、ヴェンダースが真っ先に向かったのは、計画的避難地域に指定され、ほぼ無人と化した飯館村でした。
彼はこう言いました。
「映像作家として、私は自分の目を信頼してきました。今日、飯舘村の田んぼで、私の五感を通して天国のような風景を見ました。香りも、新鮮な空気も、鳥の鳴き声も・・・」
そして、彼はこう続けたのです。
「しかし、線量計が示していた数字はまったくその逆でした。映像作家であるにもかかわらず、私は初めて自分の目が信じられないと思いました」
そのことばを耳にしたとき、私の背中には戦慄が走りました。
彼が私たちと共有してくれた悲しみの深さに、心の底からおののき、目頭が熱くなりました、一人の稀有な映画作家に「自分の目が信じられない」と言わせてしまったことへの痛恨の思いとともに。
「あなたがたには、再びこのような事故を起こしてはならないと、全世界に訴えていく責任がある。自分に何ができるか、私も一緒に考えていきます」
とヴェンダースは続けました。
最後に彼は『カサブランカ』の台詞を引用しました。
「This is the beginning of a beautiful friendship. これは私たちの友情の始まりにすぎません。またお会いしましょう」
「フォーラム福島」からの退場の際に握手してくれた彼の手に向かって、胸が一杯になったまま「ダンケ・シェーン、ダンケ・シェーン」と繰り返すことしかできなかった私ですが、彼の問いかけに、今は、こう答えたいと思います。
ヴェンダース監督、どうぞあなたの目と想像力を信じてください。あなたが『ベルリン天使の詩』を捧げた三人の天使たち、小津も、トリュフォーも、タルコフスキーも、今の事態と直面していれば、こう言うのではないでしょうか。「それでも(あるいは)だからこそ、私は映画を作り続ける」と。私たち、少なくとも私があなたにしていただきたいことは、ただ一つ。どうぞお元気で、映画を作り続けてください。