こんにちは。

 玄米は白米に比べ比較にならない程、

 豊富な栄養があります。 

 

米を白くすると書いて「粕」

米を健康に すると書いて「糠」

という字になります。

 

 

 昔の人は糠や胚芽にこそ、大切なものが 

たくさん詰まっているということを

自然と 知っていたのですね。

 

しかし、歴史上、その健康的な玄米では 

なくずっと白米が食べられてきました。

なぜでしょう? 

 

本日は鶴見隆史先生の「食物養生大全」 

から、白米が食べられてきた歴史を

抜粋してお話したいと思います。

 

 

 

白米が食べられてきた歴史
 

 稲が出現したのは9000年ぐらい前。

 

それは 間違いないようなのですが、

その頃も玄米 ではなく白米で

食べられていました。 

 

 

中国の遺跡の壁画には「米を搗く」様子が

 しっかりと描かれています。

 

 そして中国から朝鮮半島、そして日本へと

 伝わったのが約3000年前の縄文時代後期。

 

 

栽培方法と食する方法は両方同時に 

伝わるはずです。

 

ですから、最初から 白米が食べられていた

と考えられています。 

 

 

平安時代、宮中の女性の顔は「下膨れ」 が

当時の美人顔と言われてきました。

 

その頃もし、玄米が食べられていて、嚙み 

砕く力が必要な環境だったら、もう少し、 

がっちりとした顎形になっていたはずです。

 

 

 

 

白米を食べることが出来ていたのは、わずか 

5%の公家や上流階級の支配者階級のみ。

 

残りの95%の百姓や庶民は育てた米は 

献上し、残りの微々たる米をひえやアワなど 

と混ぜて粥にして炊いていました。 

 

 

しかし、それで病気になったのは白米を 

食べていた上流階級。 

 

 

彼らはビタミン不足で脚気になり重症化する

と、死に至るという危険性 もありました。 

 

また、日清日露戦争で陸軍の戦死者は多数に

上回りましたが、実はその 70~80%は

戦死でなく脚気だっという話があります。

 

 

 

その原因は陸軍総監の森林太郎 (森鷗外)が

「脚気は脚気菌が原因」 として「銀シャリ

でなくてはならぬ」と白米 ばかりを食べ

させていたと言われています。

 

 一方、高木兼寛率いる海軍は 「栄養的に

白米飯に原因があるのでは ないかと、

主食を麦飯にしたり、動物性 たんぱく質を

おかずに加えたりしました。 

 

 

 

それにより、脚気の死亡者はほとんど 

出さなかったということです。 

 

 

その後、脚気の原因が玄米の糠に含まれる

ビタミンB₁の不足によるものだと判明

されました。

 

 

しかし、脚気の原因が白米飯にあったことが 

分かったのにも関わらず、玄米食に移行 

することはありませんでした。 

 

 

 

まとめ  

 

「脚気」の原因は「白米」と分かったのにも 

関わらず「玄米」食は定着しなかった。 

 

 

 

 

  参考文献

 

食物養生大全 鶴見隆史著

 

 

 

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