その質問をしているのは、誰か?

質問し、悩むのは『心』『思考』。

その思考を働かせなくなり、観察者に戻れば、元々答えはあった。

思考で質問をし、答えを思考で見つける。

それが問題解決のパターン。

観察者に解決すべき問題はなく、質問は起こりえないので、質問が消えた時に問題も消える。

質問は永遠に答えと、さらなる質問を繰り返す。

もう、死にそう悩むとき、それこそが我の消滅の時。

その悩んでいるのは、心なのか、観察者たる自らなのか、心では、観察者は理解できない。

心を働かせないことでしか、理解はありえない。

ゆえに、表現できるものは全て思考での解釈であり、答えではない。

自らが観察者に戻ること。

戻ると言う概念すら、心。

元々観察者であり、行為者はいないと知ること。

その上を流れる思考を観察するときに、静かな喜びが広がるのに気づく。

もう、探求はいらない。
すでにそこにそうあるのだから。

探す自分と探される自分。があると思う。それこそが思考。

思考を止める。
質問をしてる心こそが、問題の犯人。

質問している騒がしい心を沈めるとき、その心の下に観察者たる自己が現れる。