帰りはバスだった
一番後ろの席にのんびりと座る二人
流れる景色はいつになく新鮮で
「なんかさ」
「はい?」
「悪くないね」
煙草が吸えないのが残念
零した一言に思わず笑った
「ひと駅ですよ」
「・・・そっか」
でもずっと乗って居たい様な
そんな心地よい座席の揺れ
信号で止まる
角を曲がる
その度に誰も手にしていない吊皮が
左右にと所在無さ気に動いている
平日のこんな時間には
混雑はしないのですね
普段利用しない僕は
沢山空いている座席を見詰めながら
そんな事を思い巡らせていた
一番前の席には妊婦さん
もう臨月とやらが近いのでは?
そう思わせるような張り出したお腹を
時折愛おしそうに摩りながら
窓の外を眺めている
真中あたりには老女の二人連れ
僕達が乗った時からもうずっと
大きな声で家庭のよもやま事を相談し合っている
きっとそれは
お互いに解決させて居んじゃなくて
ただ聞いて欲しいだけなんだ
大変だねぇ
でもまぁ生きてるだけでもねぇ
こうやって出掛けられるしねなんて
話の途中で必ずそんな言葉で確認し合っていた
「こんな距離歩いたっけ?」
ひと駅とは言え
思った以上掛かる乗車時間に
行きの道程を振り返る隣のユチョン
「遠回りになって居るんでしょうかね」
存外信号が多い気がしますよ
僕も感じていた感想を
彼に伝えてみた
二人同じ調子で揺られるシートの上
「皆でさ―・・」
「・・はい」
多分彼はこう言う
バスで遠くに出掛けるって言うのも悪くないかもね
「海ですか?」
「うん・・山とか?」
二人目を合わせて笑いあった時に
丁度僕らの場所へとバスは到着した
バス停からほんの少し上りの道
借りてきた本を抱え
自分の影の長さに過ぎた時間を想う
「ご飯何だろう」
「何でしょうね」
僕は今日は~
ユチョンは呑気に
今自分が食べたいものを並べる帰り道
聞いている僕は
そうだジェジュンのそれは格別だったなって
色んな記憶が蘇ってくる
だからいまはきっと
5人揃って食事が出来ると良いな
メニューよりも
それを望んでいる僕だった
午後からは忙しい事を
うっかり忘れていた
でも大丈夫私の頭脳なら
「そこは心配してはいませんけれどね」
教授も太鼓判
でもただ
「君はちゃんと時間通りに戻って来れるのでしょうか?」
白髪でダンディーなお爺さん教授は
そうやっていつも私を心配するけれど
大丈夫私だってやれば出来るんだ
教授っ
心配ご無用です!
意気揚々と出掛ける支度をしていると
「日頃の行いだな」
横で眼鏡男子が面白そうに笑う
「大丈夫よ」
鞄を肩に掛けながら
自転車の鍵を探していると
「今日も通り過ぎてたな~」
何考えてたんだ?
白衣の胸ポケットからペンを取り出して
手に持っていたバインダーに何かを書き込んで居る
し
しまった
こいつにだけは笑われたくないのに
同期でこの研究室に採用された
同じ教授に就いて同じ研究室に居る模範講師
勤務中は殆ど一緒に過ごしているから
私の不出来が際立って仕方ない
「ちょっと考え事・・」
「これの事?」
自分の持っていたバインダーを私に見せる
「あ」
確かに
それもやんなくちゃいけなかった
「・・そうかな」
言葉を濁す私に
そうかなって何だよ
相変わらず抜けてるよな
笑いもせずにそのバインダーで
私の頭を軽く叩く
ムッとするその前に小さく呟いた
「お前なら、その場で考えても間に合うだろうしな」
だから嫌なんだよ
「え」
「早く出ないと、時間無いぞ?」
今のは何?
聞き返したかった私の言葉は
急かしつつまたもや私を茶化す彼の
笑い声と共に何処かへ消された
司書さんも
お昼の休憩になるんじゃないの?
「あっそうか!」
慌てて飛び出して彼女に会いに行った
寒過ぎる空の風に手がかじかむけれど
さっきのあの彼の言葉が気になるけれど
今はそう
向かう場所にいるあの人の笑顔に
私とは全然違うんだ
誰にでも笑顔で誰に対しても優しい言葉で
そう
彼女の言葉は魔法の様
私が知らない言葉をたくさん知っていて
でも彼女は私が知らない事に驚いている様だった
だから図書館へ行く
今までの勉強とは違う勉強を私はしないといけないんだと気付いたから
だってこの頭脳を請われて入った筈の研究室なのに
ゼミで発表の度に教授に悲しい顔されて
眼鏡男子に笑われている様じゃ
頭脳女子の名が廃る
「こんにちは~」
自転車を倒して落ち込んでいた
私だったけれど彼女の笑顔と一言で速攻復活
結局過ぎる時間を疎かにしてしまった
温かい気持ちが
温かい人を呼んだのでしょうか
必死になって探してくれたその人に
心からのお礼を述べると
気にしないでください
本当に当たり前のようにそう言って
柔らかく微笑んでくれた
今日はほら
雪も降りそうだって言うのに
僕の心は本当に
隅々までもが温かくなっていた
一つ物事が巧く運ぶと
そこから全ての流れが変わる様に
自分を巡る色んな事が
善き方向へと向かっていく
手に抱えた数冊の本
それを手に入れるまでにかかった時間は
その微笑む人のおかげで
随分と楽しく充実した時間となった
「・・すごいな」
良いな図書館
素敵な空間です
新しい僕の
僕らのスタートのその始まりに
相応しい出会いの様な気がします
新しい場所
新しい出会い
そうして
新しい僕達
悪くない
とっても素敵だ
今日の僕はいつになく上機嫌で
このまま部屋へ戻ったら勢いで全部読破してしまえ
「あっ」
思わず声になった
前を歩いていた親子連れが
同時に振りかえったしかも
お母さんと2歳位の男の子が
余りにそっくりな事にまた驚いてしまった
そんな似たもの親子に
無言で軽く会釈をして
僕は図書館へと戻ってゆく
そう僕は何と
素敵な出会いに感動し過ぎてしまって
忘れていたのだ
同行者が居た事を
「ユチョ・・あぁ」
やっぱりな
僕はこっちに居るね
そう言われた時に
もしやとは思ったのですが
やはりそうでした
「あー・・此処何処?」
カーペットに足を伸ばし
本棚にもたれ掛かって転寝
手にしていた絵本は
カラフルな像のお話し
「可愛かった~さっき男の子がさぁ」
図書館の前の広めの公園で
売店で買った値段の割に
ボリュームがちょっと残念なサンドウィッチを
頬張りながら嬉しそうにユチョンは
転寝までの癒しのひと時を語ってくれた
冬空の下のランチ
ユチョンの話を傍らで聞きながら
グラウンドでボールを蹴る子どもたちを眺めていると
その向こうの遊歩道を
不思議なリズムで進む自転車を発見
あ
今斜めに
おっ
どうして止まるの?
白い運転者は僕の心配を余所に
やたらと楽しそうだった
どうしても気になって通り過ぎた後も
首を後ろに回して追いかけてみると
無事に図書館の
駐輪場には入れたはずだけれど
空いたスペースに自転車を止めようとした
その時に
肘で隣に並ぶ自転車たちを
2.3台倒してしまっていた
「何笑ってるの?」
ユチョンが僕に言う
「・・・図書館」
パソコンの画面を
一人で音読
ユノはいつも走っている
ジュンスは最初敬遠しがちだった
お遣い係を進んで引き受ける様になった
ユチョンはお散歩の後
知らない人のジャージを着て帰って来た日から変だ
ジェジュンはいつにも増してメールを打っている
筈なのに
どうやら相手は
返事を送る事を面倒臭がる人らしく
「・・・女の子じゃないのかなぁ」
呟くユチョンに
「そっ・・それはっ・・」
アリとかナシとか
言える僕では無かった
「うーん。多分女の子なんだけどな~」
微かに知っているジュンスも
最近は自信が無さそう
「何?何の話?」
ユノはもう
自分の事に精一杯でいいです
新しい環境に色んな出逢いを
見付けている彼らとは違って僕は
ひとつの新しい場所との
出会いを見付けた
「今の調子で十分と思うけれどなぁ」
そう言う事務所の人とは対照的に
僕はもう少し日本語を
マスターしたいと思っていた
そうすることでもっと僕ら5人の為に
役に立つ事が増えると思っていたから
「本を読むのが一番だろうね」
うーん
それぐらいかなぁ
図書館とかで試しに探すってのも
でも忙しいか~
何となく彼が発した言葉を
僕は聞き逃さなかった
トショカン
検索です
ぐぐるんです
そうして見付けた最寄りの図書館
しかも近辺ではかなり充実の書庫の数だとか
行くべきです
行かなくちゃ
折角貰えた休日
この日に行かなくて何とする
そう思って外出を決めたけれど
前の晩にユチョンにうきうきの外出を気取られた
「やっぱり付いてく~」
空を見上げる僕の横を素通り
一旦決めたらばサッと動き出す彼
でも
「タクシーどこで乗るの?」
「違います。バス停で一駅なので―――」
歩くかバスにしましょう
そう言うと今度こそ本当に
帰るんじゃないかなって顔をして僕を見た
冬ならではの今日の空模様
こんなにいい天気なのにこんなに寒い
「夕方から雪かもって言ってたし」
早く帰ろうね~
そう言いながら僕の横を歩く彼
やっぱり帰らないんだな
そう確信して
一年ぶりの彼の空気を隣で僕は感じていた
冬空の下
冷たい風に吹かれつつも
心の中は陽だまりの様に
暖かかった
「・・・歩こうか?」
煙草を取り出しながら
笑って僕を見上げた
頼りない日差しが彼の笑顔に掛かる
きっと彼も
同じ気持ちなんだ
そうだと嬉しいです
「寒いな・・」
僕の国の方がもっと寒いと思うけれど
「うわぁぁ~寒いっ」
格別寒がりな彼が僕の隣で縮こまる
「・・どうするんですか?」
ううううん
立ち止まって振り向く僕から
視線を逸らして
彼は考え込んで居る
その決断は
いつなされるのだろうか
気付かれないように溜息をひとつ
吐く息の白さに驚いて
この地上に冷気を送り込む
その空を見上げてみた
広がる薄い空色は
清々しい朝に丁度良く僕の胸に広がる
宿舎のエントランスを出てほんの2.3歩
歩き出した所で最終確認の時間を設けた
僕は行くと決めているんです
途中でやっぱり帰ろうよ
って言われて
しかも一緒に帰ろうよ
って連れ戻されたりしたら
以前から楽しみにしていた僕の休日が
台無しになるではないですか
年末には決まっていた
この場所への転居
神社への道のりが格好のランニングコースである事
大通りへ下ればコンビニがある事
都心からそんなに離れていないにもかかわらず
驚く程に閑寂で地味な住宅街である事
沢山の条件が相まって
この場所へ決められた
そうして
沢山の意見も頂戴し
僕らはもう一度5人で暮らす事を決めた
2人暮らしだった僕は
もう一度5人へ戻る事に
ほんの少しの戸惑いと
再び必要以上の騒々しさに戻る事への喜びを
同時に抱えていた
「もう一度」
結局のところは色々な物事の妥協点が
長い時間を掛けて見付けだされたって事
僕らはずっとその瞬間を待っていたから
決まった時にはただホッとした
でもただホッとしてその次には
多くの不安材料を抱える事に戸惑ったけれど
「それも遣り甲斐があるって事だよ」
ずっと一緒に居た彼が
いつも通りに笑ってくれたから
ああそうか
きっとそうなんだ
振り出しなんだ
そう思えば
そう思う事で
5人に戻る事が益々楽しみに思えた
また
あの頃からやり直せるんだ
今度は誰も悲しませない道を選んで
もう一度歌ってゆけばいいんだ
引越しの荷物を運び入れ
部屋割を決める
生活の当番を決める
何気ない暮らしを重ねてゆくうちに
あの頃の感覚が
こんなに簡単に戻ってくるなんて
僕自身ビックリしたんだ
そうしてそれは他の皆も同じだったようで
「・・・こんなものかもね」
最初の夜に僕らの感じた事を
まとめてジェジュンが呟いて
いつもの様に笑った
本当に僕らは
あの頃の記憶を
忘れずにいられたんだ
