DD51形ディーゼル機関車を組んだ。
昔々の昭和30年初っぱな。国鉄ではエネルギー効率の悪い蒸気機関車の次の動力車近代化が唱えられていた。で、非電化の集中動力方式サイドのプランとしてディーゼル機関車のDF50を製作してみたものの(※もう一方は分散動力方式。キハ58・28を新製して成功、後に技術活かしてキハ20の2エンジン化→改番してキハ52登場)、設計時の工業技術力の時代背景もあって(※戦後GHQによる工業技術制限が最後の形で残ってた)、増える客貨需要に対応させるにはエンジン出力が弱く、車両新製を進めなくてはならなかった。昭和30年中盤くらいのDF50は、こんな感じ↓。

エンジンやコンバーター等を新設計とし、これまでの国鉄保有の機関車にあった箱形ボディーではない凸形ボディーの高出力型ディーゼル機関車、DD51が新製された。
1号機の新製当時↓。

新製当時の塗装は“慣例の”ぶどう色。試運転で留置線内を低速で走る事があった為、線路上や近辺に居る職員への識別としてスカート部分に“慣例の”黄色×黒色の警戒色が塗られた↓。

試運転を経て、近い将来の蒸気機関車全廃→無煙化の目処が立った為に『煤煙の心配が無くなる事だし、本体色は明るい塗装にしよう』という事になり、メインカラーにオレンジを置いた“標準色”が出来上がった↓。

【黎明期 後編へ続く】
昔々の昭和30年初っぱな。国鉄ではエネルギー効率の悪い蒸気機関車の次の動力車近代化が唱えられていた。で、非電化の集中動力方式サイドのプランとしてディーゼル機関車のDF50を製作してみたものの(※もう一方は分散動力方式。キハ58・28を新製して成功、後に技術活かしてキハ20の2エンジン化→改番してキハ52登場)、設計時の工業技術力の時代背景もあって(※戦後GHQによる工業技術制限が最後の形で残ってた)、増える客貨需要に対応させるにはエンジン出力が弱く、車両新製を進めなくてはならなかった。昭和30年中盤くらいのDF50は、こんな感じ↓。

エンジンやコンバーター等を新設計とし、これまでの国鉄保有の機関車にあった箱形ボディーではない凸形ボディーの高出力型ディーゼル機関車、DD51が新製された。
1号機の新製当時↓。

新製当時の塗装は“慣例の”ぶどう色。試運転で留置線内を低速で走る事があった為、線路上や近辺に居る職員への識別としてスカート部分に“慣例の”黄色×黒色の警戒色が塗られた↓。

試運転を経て、近い将来の蒸気機関車全廃→無煙化の目処が立った為に『煤煙の心配が無くなる事だし、本体色は明るい塗装にしよう』という事になり、メインカラーにオレンジを置いた“標準色”が出来上がった↓。

【黎明期 後編へ続く】