最近、自分がなぜ変容に時間がかかるのかを思い返してみた。
過去の自分と向き合ってきたのは良いんですけど
過去は出来なかったかも。
そう自分に問いかけていきます。
そう気づきはじめる。
そう理解出来るようになってきた。
それだけで、格段に見える景色は変わってくる。
特に、わたしと関わってくれる人
どんなに劣等感の塊でも、過去の努力は決して裏切らない。
相手の罠から出て
その時に、やーーーっと気付く。
あ、わたし
もう過去の自分じゃない
過去の自分と向き合ってきたのは良いんですけど
どこかで、過去の自分と今の自分に境界線がなくなっていました。
過去を悲観するのではなくて
過去の自分だと思ったまま現実を見ている。
わたしもう学んだよね?
過去は出来なかったかも。
でも、わたし今はもう出来るよね?
自分にひとつひとつ問いかけていきます。
ひとつひとつ。
そうすると見えてくることがある。
過去、言われた言葉、批判、誹謗中傷
あれは、事実でしたか??
あれは、相手が自分を優位に立たせる為、優越感がほしくて、自分を守りたくて言った言葉ではないのかな??
あの言葉は、ただの「罠」じゃないの?
そう自分に問いかけていきます。
そう考えるはじめると
実は、相手が罪悪感を植え付けるために言った言葉だったりして(無意識に)
傷付けて、自分の方が強いと思わせる為の言葉だったりする(無意識に)
これは、人間だから当たり前にやってしまうことでもある。
それは相手の問題であって
わたしと言う存在には関係ない言葉
だから、自分のことだと受け入れる必要なんてない
そう気づきはじめる。
元々、人の感情、感覚には敏感で、分析も出来てしまう。
そもそもリーディング出来るわたしには、勘違いとは限らないその人の真実を見てしまう瞬間は多分にある。
それは、普通の人には分からない感覚。
だからこそ、想いを拾い上げてしまいがち。
それは仕方ない。
だけど、それは同時に
洞察力があるということ
観察眼があるということ
客観的に物事をみれると言うこと
知性があると言うこと
感受性が高いと言うこと
そう理解出来るようになってきた。
過去のわたしと今のわたしを切り離して考える
それだけで、格段に見える景色は変わってくる。
これは、何もわたしに限ったことではないし
わたしだけが凄いとか言いたいのではなくて
誰だってそうなのだと言うこと。
特に、わたしと関わってくれる人
わたしのブログ、わたしのセラピーに行き着く人も含めて
決まって
優しくて
頭が良くて
人の為に頑張れて
頑張り過ぎるくらい頑張れてしまい
人の分まで背負いこむ
責任感も強い人
そんな人が、無価値なはずがない。
今まで、犠牲になって握りしめてきた手の力を抜いて
その人となりがかがやく時は必ずある。
どんなに劣等感の塊でも、過去の努力は決して裏切らない。
相手の罠から出て
オセロをひっくり返そう。