今でこそ、とても仲の良い家族だけれど小さい頃はまるで違った。

わたしは、いつも頭の中では違う家族と一緒に居た。
大家族に憧れて居て、頭の中では大家族で、兄、姉にとても可愛がられ、自分も妹と弟を可愛がって居た。

幼馴染と一緒に居れば、このうちの子供になりたいと思った。
友達の家に行っても、このうちの子供になりたいと思った。


わたしは、自分の家になど帰りたくなかったのだ。



今でこそ、家族には感謝しているし、両親のその頃の状況を考えると過去のことは理解出来るんです。
どうにもならないことだった。


インナーチャイルドもひたすら癒してきた。
なので過去の自分の寂しさも結構受け入れているつもりだった。



だけど、わたしは人生を決断するとき
まだ見ぬ我が子を守る選択をしようとする。


お金があれば、子どもを守れるかなとか
こう言う人と結婚したら子どもは寂しい想いをするよなとか
こう言う顔の人と結婚しないと将来子どもは自分の顔に悩むかなとか

他人軸ならぬ、まだ見ぬ我が子軸キョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロキョロ



それは、自分の子ども時代を照らし合わせるものなんです。

自分が子供の頃悩んできたことを、まだ見ぬ我が子が悩まないように…


産んでもなければ、産む予定もまだないのに…




未来不安に近い。



それは、わたしの子ども時代と同じにはなって欲しくないと言う想いであり

両親みたいになりたくないと言うことで


両親の子育ては失敗だと思っていることで


両親みたいに子育てを失敗したくないと言う想い。



なかなか失礼だし、なかなかオイオイって感じでもあるのだけれど


わたしにとっては真剣な想いだった



気付いても、笑っちゃうわ、ププってなることも恥ずかしいと思うこともなく


あーそうなのかと思って終わる。



このまだ見ぬ我が子を守らなければならない気持ちがなくなった時、どんな選択を出来るのかなー?って気持ちにすらなる。


そして、子育てに失敗してもいいんじゃない?って気持ちになる。



何をもって失敗と言うかも分からないものね。




親の子育てを否定するのももう辞めていいし、反面教師にしなくてもいいかなって。

そう思えば思うほど、きっと両親に似ていくでしょう。



過去は過去。
そこにエネルギーを費やさなくても良いのかな。



わたしは子ども時代の自分を救いたかった。救われたかった。助けて欲しかった。
その気持ちは紛れもない事実で、そう思わざるを得なかった理由がある。

そこからもう解放されて良いのかな。

親のことも今なら理解出来るし、やりようがなかったと思う。

そう理解出来、受け止め、許せたのなら、それで上出来だ。




わたしはわたしの道を、親に感謝しながら選んだらいい。


きっと、こう言う気持ちを実は抱えて生きてる人って多いと思うんです。


親のようになりたくない

親のようにならないように気を付けよう

親のようになる自分が許せない

親のようなパートナーを許せない


そう言う気持ちを抱えて生きている人って結構いらっしゃる。


みんなひっくるめて、気持ちわかるよと言いたい。
そして、そこから抜け出しても良いのだと伝えたい。

親を越えて生きていくってそう言うこともひっくるめてだと思うから。


そう思うのは愛が深いからでもあると知って欲しい。

そんな気持ちでいっぱいです。



親も気にしなくなった時、ドンドン自分の道を歩めるようになると思うから。


縛られる気持ちから解き放たれよう。