わたしの中に平穏が訪れています照れ照れ照れ


自分への悪口を散々ノートに書きなぐった。



その内容が驚きの酷さだった…


ニーズがない、求められてない。
出来たふり、知ってるふりしてるんじゃねーよ!
出来もしないくせに生意気なんだよ。
人から必要とされてないのを認めろよ、理解しろよ


こんな風に罵倒していました。

いやー凄いガーンガーンガーンガーンガーン


そして、これに近いことをわたしは言われてきている。
パワハラを受けた時は、これに近いことをもうちょっとオブラートに包んで言われていた。


言われたのは、わたしがわたしに言ってたから。




なんだかとても納得してしまった。

この気持ちを感じないように、わたしは頑張ってきた。
ニーズがないからニーズを作ろう。求められないとと。

そもそも根底にこの気持ちがあるのだから、頑張っても頑張っても疲弊してしまっていた。



ノートに書きなぐってみて、眺めて


自分の気持ちをまず受け止めた。
自分の悪口をまず受け止めた。



うん、そうだよね。
そう思っちゃうよね。わたしニーズなかったよね。そう思えちゃったよね。




ここで、急に

いやいや、そんなことないよ、わたしニーズあるよと言っても、自己否定の気持ちは更にマグマのように噴き出してしまう。
だから、それをするのはやめた。
あーそうだよねって。
あなたの悪口その通りだよねって。



この受け止める作業はさほど苦しくはなかった。
もう、その通りだなとか受け止めざるを得なかったのもあるけれど 苦笑



受け止めた後思ったんですよね


わたしニーズもないのに、今生かされてるなーって。

ニーズもないし、出来ないことの方が多いし、見栄っ張りだけど、それでも今生かされてるなーって。


とてもありがたい。




そう思えたんですよね。

底辺で認めて感謝するって凄く抵抗があったんですけど、すんなり受け入れることが出来ました。


ニーズはもちろんあった方が良いけど、なくてもなんとか生かされてるし、大事にされてるじゃん!!

いやー周りはわたしをニーズだけで見てないんだなぁ、ありがたいなぁ。


そんなことを思えた。


これは所謂自分が素晴らしいと気付くみたいなことなのか?いやいや、そこまではいってない。


ただ、少なくともニーズのないわたしを罰しなくはなりそう。
ニーズがないって事実も受け止められる。

周りは、どうやらわたしをニーズで選んでいるのではないらしいことも何となく気付く。



今ニーズがないことを認めないとニーズを作ろうとも出来ないだろう。
けど、今はそこは気にしない。
ただ、ニーズがなくてもどうやら死にはしないらしい。



ニーズがない自分を認めることが、わたしは最も怖かった。
仕事上ニーズをリサーチしていたし、ニーズを作るために頑張っていたから。
実際は、そこに劣等感がくっついていたようなのです。

ニーズをまたくまなきゃいけないことに半ばウンザリしていたわたし。

あーまた人のこと考えてやらないといけないんだって。
もううんざりなんだよなーって。



そう思ってきたのは、他でもないニーズのないわたしが根底にあるからだったんだなーって。
過剰反応するのは、わたしが受け入れられないからだと理解できるようになってきた。


底辺になってもいいんだなぁ。
そもそも本当にそこが底辺なのかなんて分からないし。


わたしはわたしをもうちょっと素直に生きてみたら良いかもしれない。