今朝4:30まで姉とお母さんと話していた。
人生ではじめてお姉ちゃんと本気で向き合ったと思う。
お姉ちゃんは鬱でもかなり酷い。
重症一歩手前。
わたしは、お姉ちゃんにセラピーを受けることを何度も勧めていて、昨日もその話になった。
でも、頭で理解したいお姉ちゃんにとってセラピーは未知の世界で不信感丸出し。
これはシータじゃないのだけど、原因を簡易的に掘り下げた。もはや強制なのでセラピーとは全く別のベクトルです。
「見えないものを信じると失敗して絶望する」これが掘り下げた結果。
ここに、お姉ちゃんがハートを人に開かない理由がある。
そして、更に掘り下げを続けた。
お姉ちゃんの思考
わたしのせいで、学費と治療費がかさみお金がなくなった。
わたしが全部悪い。
そう自分を責めてるのを認識してもらいたかった。
そして、お母さんから、お姉ちゃんは悪くないと言ってもらいたかった。
そうしないと、変わらないと思ったから。
ここを認識させて
お母さんからの話も聞いて
お姉ちゃんの認知の歪みを取り除く作戦。
ちょー荒療治。
こんなやり方したくないけど…
もう、わたしも無理だった。
だけど、希望が見えた。
お姉ちゃんは、人を喜ばせたくて、相手の気持ちを分かりたい人。
それなら、そういことをやれば良いんじゃないの?と提案。
すると、お母さん、お姉ちゃん、わたしの中に希望が生まれた。
可能性を信じる隙間が出来た。
わたしの作戦は成功を遂げた。
そして気付いた。
わたしは、お姉ちゃんを助けたくてセラピーをやっていたと。
ノンジャッジで即効性のあるセラピーを探していた。
でも、実際は本当にノンジャッジな人なんて居ない。
結局自分の経験則と知識から割り出す答えを出しているだけに過ぎない。
ノンジャッジのすごい人なんて居ないし、ノンジャッジで自分を見ることが出来るのは自分でしかないと。
そして、即効性があるかどうかは
その人が自分を責める力を緩めるかどうかにかかっている。
即効性があるセラピーをやっても、効果がある人とない人の差は、その人の自責の念を緩められるかどうかなのかなと思う。
だから、すごい人を探してセラピージプシーをやるのはやめようと思った。
みんな自分の観点でしかないし
それでよくて、その波動に合った人がくるだけだと。
そう思ったら、もうお姉ちゃんを癒さなくても良いのかもと思った。
すると、勝手にお姉ちゃんとわたしに境界線が出来た。
境界線て、相手を認めることででき、それは信頼なのかも?って思えた。
お姉ちゃんは何も悪くない
お母さんも何も悪くない
わたしも何も悪くない
過去はどうでも、未来は創れる。