「傷ついた心」というのは幻想であり、それは一種の癇癪である

心が傷ついたと感じることはあります。

それは誰のせいでもなく、自分が選んだのです。

斎藤一人さんの動画に「心は傷つかない」というのがあります。



私も最近までは「心は傷つかない派」でした。

けれども、「心の傷」は見えないのでそう言ってもいいのですが、心が痛みを感じることはあります。

傷みは感じていたいことがあります。


癇癪ではなく「懺悔」として。