今日は、とあることから、罪悪感に押しつぶされそうになりました。


これが非常にしんどかった。


一般的な、いわゆる常識と思われるものから考えて

あまり褒められた人生を送ってきていないので

罪悪感を感じる理由なんてものは

もう、叩き売るほどある。

(いや、できるものなら買ってほしい、タダでもいいから。

なんならお金払うから。)

仮に売れるものだったとしても

売り切れなくて腐るほどある。

実際腐っているのに廃棄できなくて

しょうがないから土掘って埋めたら

予想より多くて山になっちゃったんじゃないかっていうくらいある。


そんなものだから

謝りたいひとなんて、ちっちゃい国の人口くらいは軽くいるんじゃないかと。

そうしたらさ

罪悪感あるからって謝って許してもらえば解消するかってったって

しないよね、する訳ないよ。


第一、

「ごめんね」「うん、いいよ」のやりとりが成立したところで

ああは言ってくれたものの、本当はまだ怒ってるんじゃないかなぁって

絶対、思う訳じゃないですか。思うじゃん。

じゃあ

罪悪感に対する処置は「謝る」ではないっていうことだ。

どれだけ頭の中で「お願い、許して」って叫んでいたとしても。


本当に許してほしいのは、何かをしてしまった相手にではなくて

自分に、だよね。


自分が自分を赦せたら、終わりだよ。


もう、いいんじゃん?って。

自分を責めてるのは、誰でもなくて、自分だよ。


実際、どっかのおばちゃんに、例えば道の歩き方を咎められてもですよ

「本っ当に、近頃の若い人はそんなこともなんたらかんたら

どういうことなの!!!!」って

めっちゃくちゃ怒られててもですよ。

自分で自分を責めなかったら、「はぁ?」ってなって終わりだもんね。


あー、左を歩くなんて、私、なんてバカなんだろう・・・とか

自分で自分を責めなければ別になんともない訳で。


じゃあ、同じように

本当に悪いと思われることをしたとしても

誰かを傷つけたとしても

怒らせたとしても


自分さえ自分を責めなければ、少なくとも罪悪感で苦しむことはない。


だから

罪悪感で苦しくて何もできない、動けなくなったら

自分で自分を赦すしかない、よね。



って、今だから書けるけれども

午前中はそんな風には思えなくて

ごめんねごめんね赦して・・・・・って苦しかったから


セルフワークをひたすらしました。

ひたすらひたすらひたすらひたすら。

気づいたら途中で3回寝てたもん。


そうしたら、軽くなった。だいぶ。

前はここからさらに穴掘って潜って落ちるのがいつもだったから

まぁ生きやすくなったものだ。いやそんな軽く言うけど

かなりですよ?すごいですよ?

有り難い。本当に。えらい、私。やったな。



そして、そのセルフワークを開発したのが

前のブログで書いた、ある人。


前のブログ


一年前

こんな私がお母さんだったら、息子は死ぬんじゃないかって本気で怖がってた私を

変えてくれた人。


そして、その変わり方があまりにも自然だったがために

私自身も変わったことに気づかず

ずっと前からこうだった、みたいな気持ちにさせる人。


・・・いや本当、忘れてたことが衝撃的だった・・・・。

あんなに苦しかったのに。


すごくないですか?

なんかね、問題が、消えちゃうんだって。


実際、セッション受けるまでは執着して苦しくて仕方なかった問題が

いくつも

気づいたら、なんともなくなってたって

本当にいくつもありました。


いいのかな?こんな自然で。

こんなに自然になくなったら、問題が解決した感動が自覚できなくて

すげーーーーー!!!!!ってならなくない?

それ、ビジネス的にいいの???って

余計な心配でしょうけれども。


その方は、ARATAさんといいます。


ARATAさんのホームページ


セッションの感想や、自分がどう変わったかとか

また、別なときに書いていきます。



あの時期、あんまり文章、書けなくなってた。

セッション受けたりしたら、書いて形にした方がいいって頭ではわかってても

どうしても書けなかったんだよなぁ。


まぁ、そういう時期もありますね。


ARATAさん、その節は本当にありがとうございます!