ここのところ、ずっと考えていたことがありました。

それは、“本質”ってなんだろう?っていうこと。

“私の本質”ではなくて
“本質”というコトバは、何を指すのだろうということ。

問題の本質、とか
あなたの本質を輝かせます、とか

忘れてはいけない、輝かせたい
その“本質”ってそもそもどんなものなんだろう、と。


そしてついに昨日、
辞書を…引かずにネットで調べました。
便利な世の中。


そしたら

“そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。”

一瞬、目に入っただけで、なんか衝撃のようなものを感じた気がする。
やっぱり辞書ってすごいな。


そうか、
これがなくなったらそれじゃなくなるもの。

私の本質とは、
なくなったら私じゃなくなるもの。

問題の本質とは
そこを外したら、問題の解決にはならなくなってしまうもの。

何かを定義づけられるもの。

私が私であることの証明になるもの。




なんだろう。




そんなのあるかな?


顔?名前?
どっちも変わるし。
痩せてたときは、痩せてないと生きていけなくなると思ってたけど
全くそんなことなかったし。

何かを知りたいという思いかな。
私、めちゃくちゃお金あっても知りたいと思い続けるだろうし
寧ろ、そのためにお金欲しいし。
じゃあ、好奇心?

なんか違うな。


自分じゃよくわからないな。

息子はなんだろう。
天真爛漫さ、かな。

…待てよ。
じゃあ、いちごのショートケーキの本質は、いちごなの?

それ、いちごじゃない?
いちごだけあってもショートケーキとは呼べないけど
ショートケーキにはいちごじゃん?

いや、ケーキか??


おや?



とか思いながらいろいろ考えてた。
何をどう考えたか忘れた。
でも思った。



いちごショートケーキの本質は
いちごでもケーキでもない。


お祝い感だ。
特別感。


誕生日おめでとう

生まれてくれてありがとう

年に一度

今日は特別



そんな気持ちがあってこその
いちごショートケーキ



じゃあ本質は
人の本質は

目に見えるものではなく
持ち物でも地位でもなく
それらはただ、表現でしかなく


その人と向き合ったとき、奥底に感じる
光のようなものなんだろうな。


恐れで隠れているかも知れない
本人は忘れてしまっているかも知れない
まだ、表現されていないかも知れない
けれども確かに
持って生まれてきたもの


周りをほっとさせる安心感や
この人がいれば大丈夫っていう安定感
次は何するんだろうって
先が見えない、だから見ていてワクワクさせられる感じとか
一緒にいると焚きつけられるような感じとか

そしてその感じるものが
エネルギーであり、波動
バイブレーションなんだな。


そしたらやっぱり、私は私の本質がまだ見えてない。

これも私だけど
まだ本質じゃない。


そしてそれは
外にいって見つけるものじゃない。


自分の内にあり
余計なものを手放した先にあるものだ。



そんな文章を今までいくつも読んだ。
何度も読んだ。

だけどわかってなかった。

本質という言葉の意味をわかってなかったから。



切ないという言葉を知っていても
本当に言葉の意味がわかるのは
切なさで胸がくしゅくしゅになったときだし

愛してるという言葉も
実際に愛してるという言葉では足りない気持ちを感じて初めてわかるもの。


悪意
殺意
嫉妬
いたたまれなさ

切なさ
愛しさ
やるせなさ
親しさ
安心感

頭で知っていた言葉が
カラダに入ってくる感覚はいつもとても衝撃的で

私はこんなとき
生きてるのが楽しいって

くすんでいた世界に色がつく感じがするなぁ。