一度、自分の世界の歪み方が
笑えるくらいおかしいんだなって思ってみたら
今まで真実だと思っていたことが
実は全然違ってたんだなと思えてきた。
私は長女で初孫で赤ちゃんで
恐らくもともと
蝶よ花よとこれ以上ないくらいに可愛がられていて
自分を姫か何かだと思っていたんだろう、
幼稚園に入り、みんなと一緒に大切に面倒を見てもらい
たくさんいるお友だちのひとりとして愛されていたにも関わらず
ひとりだけ特別扱いではなくなってしまったから
愛されていないように思えてしまったんだな。
きっと、その辺がよくわからなくて
受け入れられなかったんだな。
多分、私はいろいろソツなくこなす方だったけど
3歳くらいの子どもって
誰かが何かできるからかっこいいってちやほやするとか
特別、すごい子扱いするとか
あんまりないかも知れない。
そもそも3歳くらいの子が何ができるでもできないでも
それは個性による成長の度合いの違いでしかないのに
当時の私は、いろんなことで
もはや、全てにおいて
私はめちゃくちゃ、ものっすごくできる子なのよ!!
天才よ!!っていう
自分が世界の中心であり、頂点であると
信じて疑わないような認識だったんだな何それ恥ずかしい。
それで、天才~、すご~い、って
大人に扱われるみたいに扱ってもらえると思ってたのに
周りもみんな天才じゃないですか。
天才同士が、特別扱いする訳ないし。
だいたい、そんなに人のこと比べてみる年じゃない。
息子が3歳くらいのときって、思い返してみると
それまでなんとなくひとりひとりで遊んで
ときどき関わる、みたいなのが
やっとちょっと周りを意識しだした頃だったかもしれない。
学歴や能力や見てくれや何かで
自分や相手の扱いを露骨に変える大人よりは
(そうじゃない方もいらっしゃるとわかってはいます)
余程、フラットに相手と接していたような気がする。
何ができてもできなくても
元気でも大人しくても
〇〇ちゃんは〇〇ちゃん。
私はただ、
すごい誰かとしてではなくて
ただ、えみちゃん、として接してもらっていたのに
あれ、私、特別扱いじゃないの?
あの子の方が好かれてる、と
勘違いしてしまったらしい。
私は好かれていない
私だけ嫌われている
そういう、盛大に勘違いしたフィルターを通して世界を見始めたら
その証拠が集まっているように見えて
そういう風にふるまい出して
そういう現実になっていった。
それがわかってみると
なんだ、全部
自分で設定して、脚本書いて、演じて
相手役まで作って
演出してたんだなぁって思えて
本では何回も読んだし、みんなそう言ってて
そんなもんかなと思ったけど
本当だった。これか。
そしてこれに気づく前までは
そうか!自分で創ってるなら自分で変えられるじゃん!つって
じゃあ、どうする?どう変える?
え〜、じゃあ使ってもなくならないお金と〜
私、愛されてる!とか全部うまくいく!って実感できるようなこんな現実と〜
とかイメージして紙に書いてとか
やったけど。
無駄じゃないしやってよかったけど
これからもやるけど。
でも
あれ?
根本的に愛されてたし
受け入れられてたんじゃないかな?って
今更、もう40も過ぎて今更
今までの舞台の裏にずっとあった現実が見えたら
なんていうか。。。
やだーウケるー
てへぺろ♡みたいのが
なんとか通用する年なり顔なりキャラならよかったのに!と
もんどり打って
どこかに走り去りたくなる訳です。
ごめんよみんな、許しておくれ。
何より私、ごめんよ。
こないだ、とってもきつかったときに
自分がどう世界を見ているかを
何時間かかけて
ノート数ページ分に渡り
書き出してみてよかったです。
もう、呪いのノートかと思ったけど
あんまり同じことずっと出てくるから
おかしかった。
いや、最初は、こんなこと思ってたのかって
びっくりして、自分に泣きながら謝ったけど
今、見たら
ホラー漫画かと思ったらギャグ漫画だったみたいな・・・
そしてこの一連の動きがもう・・・
言葉にするのも恥ずかしくて
何それ、ウケる~ってひと言で何とか流してしまいたい!
流してしまえ~。
さよ~なら~。