愛ってなんだろうなー。
若いときは、自分の全てをかけて捧げるイメージで、
途中で、相手のあるがままを、
それならできるかもと思ってたけど、
とんでもなく難しかった。
誰かを愛せている自信もなくて
ただ、ときどき、
そんなのは、まぁ、滅多になく。
感じようと思って感じられるものでもなく。
これだけ、字なら抵抗なく理解することができるのに、
愛という言葉は掴むことができずにいた。
そしたら最近、周りでやたらとこの言葉が飛び交う訳です。
お金の問題は、愛なんだよ。
相反するものを統合するものは、愛なんだよ。
それが絶対的に真理なのはわかる。
でも、肝心の愛がよくわからない。
だから、どうすればいいのか
どう考えればいいのか
どう在ればいいのかがわからなくて
でも真理なのはわかるだけに、悶々としていた。
愛かー。。。
愛なー。。。
愛。
愛かー。。。
愛という字と憂という字が
ごちゃ混ぜになりそうなくらい
愛ってなんだろうなと考えていた。
愛を発動させるため。
愛のエネルギーの方向を定めるためかな。。。
意図して、これが愛だとわかって、そのエネルギーを使うため
愛しているのに伝わらないのは悲しいし
愛せてなかったら、愛せるようになりたいから。
ずっと愛されていないと思っていたのに、
愛されていることをちゃんと受け止めたい
相手に押しつけることなく愛していたい
だから、愛とは何なのかをずっと考えていて
これかなと思ったのは
「存在を認めること、許すこと」
「その人のしあわせを願うこと」
そこにいることを認識する。
あぁ、いるんだな、という意味で認める。
あると思ってもらえないものは存在できないから
そして、できれば
いていいよ、と許すこと
ある、と気づいた瞬間に存在できる。愛されている。
あっていいよ、って許可があれば、愛されてるってすごく思える。
だから、今、ここに生きているということは
生んでもらった瞬間、確実に愛されていたということ
受精した瞬間、存在を許され、愛されていたってことだ。
今、ここにいて
ここにいることを知っていてくれている人がたくさんいて
LINEすれば返してもらえて
居場所があって、働けばお金までもらえて
何もできなくてもいていいよと言ってくれる家族がいる私は
とっても愛されているなぁと思う。
そしてさらに
あなたがしあわせでありますようにと願ってくれている人がいたら
どれだけ遠くても
見えても見えなくても
愛という力になって、知らずに私を支えてくれていると思う。
前は、私は誰にも何もできない
愛も湧いてこないし、人のことを愛することはできない
できてないってずっと思ってたけど
しあわせでありますようにと願うことは少なからずあって
どうかあの人がしあわせでありますように
どうか少しでも笑顔が増えますように
苦しみが少しでも減りますように
どうか和やかに毎日が過ごせますように
起こること全てが無駄ではなく
いいも悪いもないとアタマではわかっていても
何もないのはつまらないと思ってはいても
だけど、どうかしあわせにと願う
それは、愛だと思っていいんじゃないかなって
何かのときに思ったのを今日、思い出しました。
それが間違っていないなら
この世界はなかなかに愛に満たされているなぁって思ったし
私はまだまだ愛することができるなぁって思った。