ずっと前に、ふと気づいてめちゃくちゃ納得したことがある。
私は小さい頃からだいぶ生きにくくて
摂食障害も何年も苦しんで
27歳くらいまでは本当、どうしようもなくて
でも、それを
「親の育て方が悪かったから」とは絶対に言われたくなくて
育て方は間違ってない、育ち方を間違っただけ、
と言ってたし、思ってた。
思い返してみても
親にされたこういうのが嫌だったとかなかったし
本当に物心ついたころから
道に外れたようなことばっかり考えてた自覚あるし
それを何でもかんでも「親の育て方が~」とか
言ってくれるなよと
こっちはこっちで
もともと持ってる魂が(一般的に言う)悪いことをしたがって
生まれてくることもあるんじゃ、と
思ってた。
息子が生まれてからの
うちの親の孫への接し方を見ていても
寝かせたら泣くからと何時間も抱っこしてくれたり
親が私を育てながら書いてくれてた育児日記を見ても
こんなにちゃんとできないなって思うくらいの
良い母親っぷりなので
これで親の育て方がとか言われた日には
日本は荒みまくらなきゃオカシイ。
っていうくらい。
でも
いろんなセッション受けながら
私が小さいときに
何か、親に対して「もっと・・・」と思ってたことがあったらしい
もっと親に、何かしてほしいっていう気持ちがあったらしい
ということがわかって
なんでなんだろう。
なんでここまでしてもらって
私はもっと、って思ってたんだろう。
こんなにしてくれる人に対して「もっと」とか言ってたら
一般的なお母さんはみんな潰れるぞ。
日本中のインナーチャイルドがもう
ボロボロの傷だらけだぞと。
病んでるやつだらけになるぞ。
もっと、って何なの??
って
本当に不思議で、ずっと引っかかってた。
でも、ある日、わかったんです。
あ、私は-1000で生まれてきたんだな、って。
私は、-1000で生まれてきた。
そしたら、ママがどれだけ大きな愛情を注いでくれても
他のお母さんが子どもに注ぐ愛情が100だとして
ママが500、私に注いでくれても
私が-1000なら、-500にしかならない。
それじゃ足りない。
でも、-1000だからこそ
500を注いでくれる、うちのママじゃなきゃダメだったんだな。
もちろん、愛情が数値化できる訳ではないから
これは例えでしかないんだけど
私が+100とかせめて0とか
そのくらいで生まれてきたら
注いでもらった分だけ愛情が溢れていくんです。
でも、私は-1000だったから
たくさんもらっても、自分の感覚では「足りなかった」んだなって
もっと、欲しかったんだな。
自分ではものすっごく納得しました。
ごめんね、ママ。だから
私はやっぱり、小さいときに「足りない」とか
「もっと」って思ってたけど
それは、親の育て方が悪い訳でも
何かが足りない訳でもなかったんだよ。
それにその-1000は、
親が全部埋めなきゃいけないものではないから。
確か
気づいた少し後に、直接、親に言った気がする。
なんか、微妙な顔してたな・・・。
うちの息子は、多分+100とかで
満たされてるからこそ
「もっと!」が素直に言える子。
ちゃんとしたうちの親から
不真面目で悪いことが大好きな私が生まれて
自由で制限なく楽しめる息子が生まれたから
親の育て方が100%じゃないし
子どもより親が正しい訳じゃないって体感でわかったから
ママの子でよかったし
息子が私の子どもになってくれて嬉しかったし、有り難かったな。
って思います。