ご訪問ありがとうございます。
東日本大震災から12年。干支が一周しました。
認知症高齢者グループホームの介護職です。
春まだ浅く寒かったあの日、2011/03/11。
訪問介護の利用者様のお宅で仕事をしておりました。
仕事を終えて、自宅にいた当時76歳の安否確認後、集団下校に切り替わった子どもその2を小学校まで迎えに行き帰宅。
中学校卒業を控えていた子どもその1は卒業式のリハーサルで学校におり、自転車通学だったため学校にお任せ。
夕方、訪問集金の仕事へ。今考えると非常に無謀。
事の重大さを実感できず。というより、受け止めきれずに一瞬麻痺したのだと。
コンビニも、最寄駅も、本当の避難所も、甚大な被害と続く余震に脅かされ異様な光景なのに。無謀なほどに動くことで自分を鼓舞してもいたのだと。
振り返ると、思います。
数日経ち事の重大さを痛感して右往左往することになるわけですが。
偉大すぎる余談。(震災から一ヶ月後「「後ろ髪を引かれる思いで」メキシコの音楽フェス「Vive Latino」
↑※2023/3/12追記。2011/4/11音楽ナタリーさんの記事。
でライブを披露した東京スカパラダイスオーケストラは
2019年、「Espectaculo alternativo(エスペクタクロ・オルタナティボ)」を受賞します。)
※ 2023/3/12追記。2019/10/31音楽ナタリーさんの記事。
12年前と今に共通するのは、失くした(亡くした)存在に癒えることのない悲しみを秘める人の前で、心の避難所、は悠長なのか。
それとも、だからこそ心の避難所が必要なのか。
毎年必ず撮っていた3/11のスカイツリー2023年は断念。
忙しく仕事ができてくたびれる余裕がある毎日に感謝、なのかもしれないです。