子どもみたいな感情。
わたしをいい子だって認めてよ。

そんな思いを掌に乗せておかえりなさいしてみる。
春のお彼岸は、宇宙元日なのだそうですね。
お正月。この始まりめいた響き。おねがい




わが家には仏様(義父)がいて、集まった親戚が世間話をする事の接待。
大皿の料理したり、
茶菓を出したり。
嫁仕事の代表格で、苦手でした。
それより稼ぐ方の仕事を優先させたかった。
いや、それ以前に
ぼーっとマイペースで音楽聴いたり
ふらっと出かけたりしたかった。

相方の、ひいては自分のルーツでもあるご先祖さまを大切にする行動、

苦手とばかり言ってないでできることはあったはず。

主体性と、義母への感謝も足りていなかったかな。
それでも
それなりに頑張ってはいたのだから、そこはもう、
過去の自分にもちゃんと感謝して、手放しで労ってあげてもいい。





2年前のこの時期をもって縁遠くなった、卒業という言葉。

子どもその2の専門学校の卒業式には参列できなかったのでありました。

感傷に溺れながらもなんとか気持ちを穏やかに保とうとしていた日々。

一方でその3日後、2020年3月21日。
職場の先輩の夜勤日を待つかのように終末期を過ごされ、人生を卒業された利用者様とのさよなら。それこそ、仕事柄初体験ではないし、取り乱しはしなかったけど溢れるいろんな感情に無理矢理蓋をしていました。


そして2021年3月21日再投稿。事故レベルの自己中心を書き散らしている記事



スカパラのライブに無事参戦できて舞い上がってました。聴くきっかけになった、子どもその2を専門学校に送っていく車中で聞いてた朝のラジオ番組

TOKYO FM ワンモーニング。』(2019年9月5日。曲は2分52秒くらいから )

事故レベルの自己中心な感情までも愛おしく振り返る。