埼玉から都内へ行動、するにあたって



わたしのSNSに関西圏の方から
「埼玉から都心に行けて羨ましい。」
というコメントをいただきました。

なぜか
すごくモヤモヤしました。

一瞬、関西ならどこからどこくらいの距離だよってお伝えしようとして
お伝えしたところで、近いと感じるか否かは感情面だから人それぞれだなぁ。と思い直し。

「羨ましい」という言葉には
自分にはできないけど
いやほんとはわたしだってできるはずなのに
できてる、やってのけてるあなた(他人)が

が略され、隠されている、と感じるからモヤモヤするのでしょう。
と仮定してみます。

実はよくわかってはいないのですが
わたし自身がそう感じる心の持ち主だからです、多分。
羨ましいと他人に言う時に言葉を隠す。 

自分に向けられてモヤる言葉

他人に向けたらモヤらせているかもという想像

もやらせていないかも知れない想像

するのかしないのかだけなのに
できるできないと
ごっちゃにしているからモヤモヤするのか。



コロナ禍のことがあるからしない
コロナ禍が特別な理由なのでしょうか



コロナ禍以前は、全国どころか国内外問わずフェス、ライブと飛び回っていたスカパラ。
まさか彼らに対しては次元が違いすぎて「羨ましい」などとは思わないとして。
あ、思っちゃうのかもな?もっと拗れてたら


コロナ禍以前だったら全国内くらいなら、なんなら海外までも追いかけてライブに参戦していたはずのファンの方に対しては「羨ましい」と思ってしまいます。
多分過去形にはできない。


混乱して下書き放置していたけど

今降ってきた言葉
こちら↓にイメージ画像あります。


人それぞれのキャパを無視すると、今と過去とでは状況が違うのにごっちゃにしてモヤるんだ。

追記。
逆か。人それぞれの状況を無視するとキャパが違うのにごっちゃにしてモヤるのか。
 

都内まで行くわけにいかない方に(はず、を選択する架空のわたしも含めて)ぜひご覧いただきたいです。


このところの投稿の動機は、あくまでも素敵だと感じた物事を広くお知らせしたい。なのです。

コロナ禍において、ご不快に思われた方には深くお詫び申し上げます。


おつきあいいただきありがとうございました。