かおたん論、『自己肯定、どうやって思い出すの?

 

『自己肯定、どうやって思い出すの?』この記事のつづき! ↓  育てるんじゃなくて、思い出す作業じゃん?っつーことを書きました。   んで、どぉーやって思い出すの?っつー話になるよね。   まぁ。…リンク薫風記(かおたん式思考タイプ論) 

   かおたんいつもありがとうです。

シェアしてくれた意図に合っているのか?わからないですが

6/13現在、少し落ち着きを取り戻し

劣等感も結局は自己肯定の拗れ気味なカタチなのかなぁ。

そう思うに至った

振り返りにふさわしい記事なのでリブログします。


介護の仕事と認知症について

いきなり日本、なんなら世界レベルで変えていこうとして、足元がぐらついてました。


介護職
業務量(雑用ともいう?)多いし
誰でもできるとされる仕事の代表格とされているのが現実。

ただし、それは、誰の視点なのでしょうか
心からそう思っているのでしょうか、わたし。

突き詰めれば、
自分と他人は違う。
自分にしかできないこと、ダメ出しされ続けながらも9年もあきらめずにしていれば何かあるはずで、同じように仕事しているように見えても現れる成果は違うはずです。

その点を長い目で見ることなしにいい、悪いで裁こうとするから(相手がそんな失礼をしてきた、としても受け入れて感情的になるもならないも自分次第です。
ホントはすごく自己肯定しているのに自己否定してみせたり。ややこしいことになってました。


感情と現実を切り離す。

遡ること3か月弱
長く職場で介護度が高いままで(いわゆる寝たきり)過ごされていた利用者様をお看送りしたり
過去ブログには介護技術不足の劣等感ネタにご登場いただきました

春の常として人事異動とともに訪れた
人間関係のさようなら、お久しぶり、初めましてに感情を揺らして
相手の都合はわたしにはどうすることもできないことさえわかりませんでした。
ただでさえ切り離すのが苦手なのに、状態がひどくなっていたのですね。

失敗はするけど自己否定に陥ることは減らしていこうと思うのです。
減らせるかもわかりません。

周りの人に体当たりのご迷惑をおかけしながら進んでいきます。
それがわたしの勢いといわれるものなのでしょう。
いつか誰かの
そして誰より自分の
心と身体の輔となりますように。