24年前、1996年は
育った環境と、嫁いだこれからと、特性に揺れまくった日々。
介護が拗れるのって
こういう感情のもつれもあるはず。


利用者さんに対してならスルーできるのに身内である姑だと腹を立ててしまう情けなさ。


まず初孫である子どもその1絡みの縁起物のやりとりに辟易。正月の弓破魔羽子板。
「あなたは町場の人だから」
(嫁ぎ先の慣習に馴染めない他所者貧乏人が生きてきたところ=町場。同じ県内なのに謎のヒエラルキー炸裂。と感情的になって)勝手に悪口と決めつけて悶々としていた頃。


時を経て、自分が衰えたことと、
成人した子どもその2海の民のお人好しを上手く利用できるようになったことで微妙にヒエラルキー更新したものの
未だにこちらの感情や都合などお構いなし。
の、俯瞰低め前者姑
基本わたしは怒りっぽい。ワガママで自分勝手。文句多めだから
怒りに劣等感という有り様。


そして子育てにも長年の劣等感。罪悪感。
幼くて経験値が少ないのをいいことに
罪のない上空(仮)娘その1、海の民その2にあたって虐待。
自分も気づかないうちにしでかすのだからガマンしなくてはいけないと思っていました。



桜なんてどこで見たって一緒。どこかに観に行くなんてムダかも?

思い入れのあるところで見る桜は格別ですね。
そんな小さな想いさえ叶えてはいけないと自責めしてました。

前者後者

いつか誰か、そして誰よりわたしの心と体の輔となりますように