そういえばふと思い出しました。
誰のせいでもないと今ならわかる。


25年前のこの時期、まだ寿退社なんて言葉が死語でなかった。なんなら当たり前のように飛び交ってた。
その頃から桜はここに咲いてた。皆様に画像を通して見ていただくことができるようになるとは、夢物語でありました。しばらくケータイ持つのさえ贅沢でしたから。
奥の濃い色の早咲きの桜はその1が小学生になるにあたり強制的に植樹祭に参加したときのもの。




昭和の常識ってモノにガチガチに縛られてた
「俯瞰低め前者」の姑とツレ。そして誰より後者わたし。仕事と家事を完璧に両立する事ができないなら辞めて家事を優先が当然。ってね。
つい恨み言が出てしまうけど、選んだのは自分。働くの、好きではなかったから。どう自分を活かすかもわからなかった。

平成バブルは弾けて、役立たず、と自分を見限ってたわたしは高卒で就職した企業を自主的に辞めた。1993年のこと。

妊娠発覚は、二社目の企業からも必要とされずわたしをダメ社員認定したと諦めることを選んだ頃(そうしとけば会社都合退職扱いになって失業保険が有利だとか)


その頃後者だって解っていたらもう少し生きやすかったかな。






前者後者

いつか誰か、そして誰よりわたしの心と体の輔となりますように