認知症を患う
職場の利用者さんであったり、
認知症でこそないもののそれなりに歳を重ねた同居の高齢者であったり、
身近な高齢者が

それまでできてたことを嘆くことがある。
(特に食事や排泄の問題。)

できる、できない
実は人の価値はそこでは決まらない。
ところがそこに全く囚われない人は多分、いない。
よく聞くけれど、思いは切実。


まして高齢者の場合だと、
年若い
できない
としていた存在に気を遣ってしまうから。
自尊心を損ねられたように感じてしまい、素直になれないと、拗れてしまう。


わたしは冷たいから
突き放してしまうこともある
突き放しきれずに罪悪感抱えることもある

もちろん、仕事であれば
冷たい毒を隠して(あくまで自分の最高レベルなので、バレバレかも)プロに徹する。
距離を保つことが可能だから
優しい言葉もシレッと口にできたりする。


けど、やはり楽しいことが好き
笑い合っていたいという思いはあるのだ。
気を遣って哀しむ表情見るくらいなら
楽観的に接しよう

そう考えていた。
だから、排泄のお手伝いをするときには
「大丈夫」と口にする。

自己満足で、それが一番のケアだと思っていたけれど

「大丈夫ではない」そう感じるご本人の心に寄り添う覚悟なしには
どんな慰めも残酷になるのだということを

忘れずに
生きたい。





今の自分としては失敗作。
けど、以前の自分、こんな風に撮れるなんて思ってなかったな。

普通、の中の特別
楽しんで
見つけよう。

一方的に
助けてあげることが
介護ではない。

介護に苦しむ皆さんの心が
少しでも楽になりますように。