節分は琵琶湖で過ごしました





投げたお皿は鳥居をかすりもせず
あさっての方向に飛んでいったよ〜口笛







去年までの節分は
天河の節分祭でドラム叩いてた🥁




今年は同じ弁天様でも竹生島の弁天様




ボイスワークやったり歌ったりして
いっぱい声を出しました







声を出したことと関係あるのかどうかわからないけど
本音で語りたい欲求が止まらない



毎日誰かを捕まえて語っていたい、本音を〜音符ルンルン




ところで本音って何❓、ってことだけど




感じているモヤモヤを言葉に変換してアウトプットするとき、
変換が上手く行った時に本音と名がつく





それは自分の本質と繋がっている感覚なんだと思うの




本質と本質が混ざり合ったらどうなるこの世界❓







まだまだ本音開発能力が足りなくて
話が弾まない時もあるけど。。。えーん



その私の本音をそのまま見つめてくれる人って
今までいたでしょうか




全出ししていいよ〜
って言ってくれた人はいたでしょうか



誰かに気に入ってもらうための発言じゃなくても


目の前の人を喜ばそうと考えた言葉じゃなくても


今感じているバイブレーションを素直に翻訳して
そのまま表現することが許されたことはあったでしょうか



それがいいんだよ〜って言ってもらえた節分だったな




見つめられていると安心する



安心して自分を見つめることができる



だけど、
誰からも見つめられていなくても
自分だけは不安な自分を見つめて
安心するまで寄り添っていよう