寂しい、と心が叫ぶとき
会いたい、と胸が張り裂けそうなとき
突然ポンとサインがやってくる
気にかけているよ
という微細なサイン
タイミングが絶妙すぎて
こちらの様子がバレバレなのかとビビる
それともただの思い過ごし❓
今日、ひとりのお年寄りが激しい調子で訴えていました
私は愚弄されている。
まともに意見を取り上げてもらえないし
聞いてもいい加減な答えしか返ってこない
その態度を謝って欲しい
50人ほど集まったマンションの理事会で、個人的な感情を延々と述べられていることにほとんどの人は嫌気がさしていました
でも私は気づいた
このお年寄りの感情は私の感情だ、と。
あなたは間違っているから私に謝って欲しい
私をちゃんと大切に扱いなさい、って
きっと、あのお年寄りは戦争も経験されて
社会情勢の波に飲み込まれたり一瞬にして価値観の変わる社会に
飜弄されたのかもしれない
大勢の中の一部にすぎない
自分には価値がない
と思わされることほど悲しいことはないですね
日本人は特に和を重んじるので
自分の本音を明かさない人が多いし
本音を喋ると孤立する場合もあるから
集団生活を送る上では
とても大事なことだったかもしれません
魂の声 と 集団の中の自分の役割
イメージが離れてくるとき
大衆が持つ自分のイメージに腹を立て
そのイメージを変えろと強制して、満足できますか❓
実はそのイメージのタネは自分の中にあり
抵抗すればするほど
タネは成長し、目の前で展開していく
でもまず謝るのは
私が私に対してなのですよね
私は私を大切に扱い
価値ある存在であると扱う
自分自身を大衆の一部に溶け込ませないで
私は今日、なぜか悲しくなって
でもサインが来て
魂が会いたい人に会いに行こうとして
でも同時にその人を取り囲む集団の中に行くことを
拒んだ
私が私の純粋な希望を強くイメージし続けることができなかったから
誰かのイメージに無意識のうちに流されるのではなく
私は私が望むものになると決意した