アングロサクソン人の登場は5世紀くらいと伝承に伝えられているが、実際のところは分かってはいない。伝承では南サクソンのエレ、西サクソンのチェルディッチ、キュンリッチ父子、または史書「ブリトン人の歴史」に登場するヴォーティガンの宿敵ジュート人の長ヘンゲストなどが挙げられるが、どれも伝説的な人物像であり、ブリテン島に上陸した年月も考古学から出た年代の整合性が合わないでいる。しかしそれぞれが5世紀中ころから覇権を争ったものとは考えられている。彼等サクソン人は西進を続けるものの、ブリトン人の反撃を受け「バドン山の戦い」と呼ばれる激戦で大敗北、数世代に渡って膠着状態となった。この戦いはどこでなされたかは分かってはいないが、劣勢のブリトン人を指導したと伝えられる者がアーサー王のモデルとなったと考えられている。とくにサクソン人は壊滅的な打撃を受け、再び進攻が始まったのは西サクソンのチェウリンが王になった頃からだと言われている。王国が形成されつつある当初はアングル人の建てたノーサンブリア、マーシアが隆盛を誇り、ノーサンブリア王エドウィン、オスワルド、オスウィ、そしてマーシア王ペンダなど非常に強力な王が存在した。彼らはしばしばブレトワルダと呼ばれ、イングランドの覇を競ったと伝えられるが、この覇王の称号が実際使われたものなのか、それとも後世の年代記者の創作の賜物かは分かってはいない。またこの時代ローマ系キリスト教が再上陸し、ケント王エゼルベルトを最初にイングランド各地に広まった。と同時にウェールズ、コーンウォールのブリトン人が保持してきたケルト系キリスト教は劣勢となった。ウェセックスが台頭し始めたのはキャドワラ王となってからである。数世代前に父祖の地をマーシアに獲られたウェセックスは東に進撃、サセックス、ケントを侵略した。同時にこの時代から大陸よりノルマン人の一派であるデーン人がブリテン島に定住し始め、東沿岸部のノーサンブリア、イースト・アングリアはこの侵略の前に守勢になる。その中でウェセックスはデーン人に対抗するアングロサクソン人の求心力を得て、829年にエグバートのもとでイングランドを統一した。しかし同じころ、デーン人の侵入が活発化していてイングランドを侵略、ノーサンブリア、イースト・アングリアが滅亡する中でウェセックスは唯一生き残ったアングロサクソン王国となる。しかし劣勢の中でアルフレッド大王がエディントンの戦いでデーン人に勝利、デーン人の支配地域をデーンロウとして認め一種の均衡状態による和平を築いた。そしてこの時代、彼の元で古英語文献の集大成が行われ、ウェセックス王国はアングロサクソン文化の伝統を築き上げる。この事がデーン人の侵略という困難の中でかえってアングロサクソン人の求心力を呼び、後に全てのアングロサクソン諸国を統一し、スコットランド王国の恭順を受けたウェセックスは後のイングランド王国の母体となった。その後デーン人、ノルマン人とイングランドの支配階級が変わる事になっていくが、デーン人は支配階級として政治に参加する者はアングロサクソンの出自であっても「デーン人」と呼ぶのを慣わしとしており、また後世11世紀に数多くのノルマンディー公国出身のノルマン人貴族が支配者として入ってきた際にイングランドにある数多くの階級制度に驚いている事から、七王国時代の社会制度はこの時まで温存されていたものと思われる。