皆さま ごきげんよう!
本質を生きるをサポートする
みちひらきコーチ 室井奈実です。
本質を生きるをサポートする
みちひらきコーチ 室井奈実です。
昨日は亡くなった母の
百ヶ日供養の日でした。
「百ヶ日までは何だか忙しない」と
よく言われていますが、
葬式から相続に関するまで
「やらなければならないこと」が
あるのは、
失った心の痛み・空虚感を
埋めてくれる痛み止め
の役割をしてくれます。
一時的な効き目でしかないですが、
残された人間が前を向き
歩みだすきっかけを作ってくれます。
さて、今回は
母と富士山の関係について
書いておこうと思います。
母と富士山の関係について
書いておこうと思います。
私は富士山に
心を惹かれるタイプです。
(日本人ならあるある・・)
聖地巡礼の中でも
自分のエネルギー交換がしやすい
相性がいい場所です。
心を惹かれるタイプです。
(日本人ならあるある・・)
聖地巡礼の中でも
自分のエネルギー交換がしやすい
相性がいい場所です。
毎年、富士山を中心に
くるっと一周する参拝をします。
私の母・ご先祖さまも
富士山と特別にご縁を
感じていたのだと思います。
いくつか思い当たることが
どんどん出てきました。
①最後のドライブが三保の松原。
富士山と特別にご縁を
感じていたのだと思います。
いくつか思い当たることが
どんどん出てきました。
①最後のドライブが三保の松原。
前にブログにも書きましたが
母が亡くなる前に行った
最後のドライブが静岡方面で
三保の松原にも立ち寄りました。
能楽の謡曲「羽衣」の
母が亡くなる前に行った
最後のドライブが静岡方面で
三保の松原にも立ち寄りました。
能楽の謡曲「羽衣」の
舞台となった場所です。
お話の結末は
羽衣を取り返した天女は
富士山から天に上がっていくでした。
私たちは三保の松原からから
三嶋大社にお詣りし
富士山を望みながら帰宅したのでした。
三嶋大社は富士山脈が流れる
大変重要な場所なのです。
②能の謡曲「羽衣」
母は手書き友禅を習っていたので
自分で絵柄を描き、染め上げて
着物を作っていました。
お話の結末は
羽衣を取り返した天女は
富士山から天に上がっていくでした。
私たちは三保の松原からから
三嶋大社にお詣りし
富士山を望みながら帰宅したのでした。
三嶋大社は富士山脈が流れる
大変重要な場所なのです。
②能の謡曲「羽衣」
母は手書き友禅を習っていたので
自分で絵柄を描き、染め上げて
着物を作っていました。
また、いろいろな糸(素材)を染めて
大きな織り機で布を織り上げる。
それらを自分のファッションに
取り込んで楽しむ
という趣味があありました。
手作りの布物が好きなのです。
そして晩年は
謡の稽古に励んでおり、
自分が染め上げた着物で
発表会に出ていました。
この人の世界観は
謡曲「羽衣」の世界に近いのだ。
と結びついたのでした。
大きな織り機で布を織り上げる。
それらを自分のファッションに
取り込んで楽しむ
という趣味があありました。
手作りの布物が好きなのです。
そして晩年は
謡の稽古に励んでおり、
自分が染め上げた着物で
発表会に出ていました。
この人の世界観は
謡曲「羽衣」の世界に近いのだ。
と結びついたのでした。
③昭和初期の御朱印帳
母が亡くなり、
仏壇の中を覗いてみると
祖母の御朱印帳が出てきました。
母が亡くなり、
仏壇の中を覗いてみると
祖母の御朱印帳が出てきました。
龍脈〜温泉を辿る
聖地巡礼の旅をされていました。
交通の便も悪いのに
関西からの出発し
各神社の奥宮まで登拝は
大変だったと思います。
なぜ聖地巡礼で
祈り歩いていたのだろう?
自然に疑問が生まれました。
私が祈り旅が好きなのは
あきらかに祖父母からの
隔世遺伝ですね・・笑
ただ祖父母は私が2歳の時に
亡くなっているので
私は知るよしもありません。
母も祖父母の聖地巡礼について
多くは語らなかったです。
ただ祖父は大神神社と
吉野から熊野へと大峰奥駈道の
修行にでるのが好きだったとは
聴いていました。
(山伏みたいな勤行です)
私の前世「天河辨財天」の
理由はここにあります。
母の原戸籍を取り寄せたら、
この聖地巡礼の意味が
分かったのです。
どうやら祖母は
子供が生まれても
うまく育たなく、
お世継ぎ問題に
心を痛めていたようです。
たくさんの神社・仏閣を巡り
お祈りをして歩いていたのでしょう。
前回ブログに書いた、
身延山、七面山の寺社仏閣には
毎年5月に登拝されていました。
(かなりきつい山歩きのはずです)
富士山の西側から
太陽に向かって祈る場所です。
富士山越しにご来光が望めるのですね。
(新たな誕生を意味します)
④母・6歳で富士山登拝
祖父母が残した御朱印帳によると
母が生まれて6年目
皇紀2600年(昭和15年)に
祖父母は富士山に登拝しています 母も一緒に登拝したようで、
「この事は覚えている」と自慢してました。
母の話によると、
途中までは馬、そして籠に乗り
富士山を登拝したそうです。
おそらく小さかったからでしょう。
(莫大な費用がかかったと思います)
それほどまで
富士山に登拝する意味は
何だったのだろう?
皇紀2600年はお祭りモードで
神恩感謝で神社参拝のブームが
あったそうです。
祖父母にとっては
母は唯一の神の申し子だったのだと
思います。
母の枕元に
古い富士山の額が飾ってあります。
祖父母の魂が入った思い入れで
富士山と共に
母を護ったのだと思います。
とにかく母は運が強い人でした。
完全に護られているとしか
いいようがありません。
ご先祖さまの力はすごいです。
脈々と見えない物が
受け継がれていることを知り
ドキっとしました。
⑤祖父母から私に受け継がれた祈り旅
この御朱印帳が出てきたのは
母の葬儀が終わった後で
納棺に間に合わなかったのです。
(本来なら母に持たせてあげたかった)
そして今は私の手元にやってきました。
時間を作っては1つずつ見るのですが、
祈る人(祖父母)の思いが込められて
いるのが伝わってきます。
これはこれからも
楽しみながら祈り旅を
していきなさい。
というサインと受け止めています。
祖父母は私の誕生を
すごく喜んでくれたと聴いています。
祖父の遺影の写真は、
膝の上に私が座っていた物とか・・笑
とにかく溺愛されていたようです。
だから祖父母の遺影やお墓に向かって
手を合わせる時、
魂レベルでご先祖さまと
コミュニケーションが
聖地巡礼の旅をされていました。
交通の便も悪いのに
関西からの出発し
各神社の奥宮まで登拝は
大変だったと思います。
なぜ聖地巡礼で
祈り歩いていたのだろう?
自然に疑問が生まれました。
私が祈り旅が好きなのは
あきらかに祖父母からの
隔世遺伝ですね・・笑
ただ祖父母は私が2歳の時に
亡くなっているので
私は知るよしもありません。
母も祖父母の聖地巡礼について
多くは語らなかったです。
ただ祖父は大神神社と
吉野から熊野へと大峰奥駈道の
修行にでるのが好きだったとは
聴いていました。
(山伏みたいな勤行です)
私の前世「天河辨財天」の
理由はここにあります。
母の原戸籍を取り寄せたら、
この聖地巡礼の意味が
分かったのです。
どうやら祖母は
子供が生まれても
うまく育たなく、
お世継ぎ問題に
心を痛めていたようです。
たくさんの神社・仏閣を巡り
お祈りをして歩いていたのでしょう。
前回ブログに書いた、
身延山、七面山の寺社仏閣には
毎年5月に登拝されていました。
(かなりきつい山歩きのはずです)
富士山の西側から
太陽に向かって祈る場所です。
富士山越しにご来光が望めるのですね。
(新たな誕生を意味します)
④母・6歳で富士山登拝
祖父母が残した御朱印帳によると
母が生まれて6年目
皇紀2600年(昭和15年)に
祖父母は富士山に登拝しています 母も一緒に登拝したようで、
「この事は覚えている」と自慢してました。
母の話によると、
途中までは馬、そして籠に乗り
富士山を登拝したそうです。
おそらく小さかったからでしょう。
(莫大な費用がかかったと思います)
それほどまで
富士山に登拝する意味は
何だったのだろう?
皇紀2600年はお祭りモードで
神恩感謝で神社参拝のブームが
あったそうです。
祖父母にとっては
母は唯一の神の申し子だったのだと
思います。
母の枕元に
古い富士山の額が飾ってあります。
祖父母の魂が入った思い入れで
富士山と共に
母を護ったのだと思います。
とにかく母は運が強い人でした。
完全に護られているとしか
いいようがありません。
ご先祖さまの力はすごいです。
脈々と見えない物が
受け継がれていることを知り
ドキっとしました。
⑤祖父母から私に受け継がれた祈り旅
この御朱印帳が出てきたのは
母の葬儀が終わった後で
納棺に間に合わなかったのです。
(本来なら母に持たせてあげたかった)
そして今は私の手元にやってきました。
時間を作っては1つずつ見るのですが、
祈る人(祖父母)の思いが込められて
いるのが伝わってきます。
これはこれからも
楽しみながら祈り旅を
していきなさい。
というサインと受け止めています。
祖父母は私の誕生を
すごく喜んでくれたと聴いています。
祖父の遺影の写真は、
膝の上に私が座っていた物とか・・笑
とにかく溺愛されていたようです。
だから祖父母の遺影やお墓に向かって
手を合わせる時、
魂レベルでご先祖さまと
コミュニケーションが
取れるのだと思います。
供養をすればするほど
とにかく助けてくれるのです。
私には「家族を助けること」が
今生のミッション1つとして
与えられています。
だから急速に供養のことを
学ばされているのでしょう!
この頃、お寺参拝が多い〜汗
供養をすればするほど
とにかく助けてくれるのです。
私には「家族を助けること」が
今生のミッション1つとして
与えられています。
だから急速に供養のことを
学ばされているのでしょう!
この頃、お寺参拝が多い〜汗
あまり知られていませんが
富士山も辯才天さんです。
宇宙の根源神です。
令和の時代は
どれだけ宇宙根源神と
繋がれるかが鍵となります。
より神性開花の時代です。
これからも、
魂の拠り所として
毎年、富士山には参拝を
することになります。
宇宙神に感謝
ご先祖さまに感謝して祈るのです。
富士山も辯才天さんです。
宇宙の根源神です。
令和の時代は
どれだけ宇宙根源神と
繋がれるかが鍵となります。
より神性開花の時代です。
これからも、
魂の拠り所として
毎年、富士山には参拝を
することになります。
宇宙神に感謝
ご先祖さまに感謝して祈るのです。
親愛を込めて!
With Joy & Love~
With Joy & Love~
