言葉にしたいことを感じて
久しぶりにブログに向かってます


週末、若手の俳優さんの
痛ましいニュースに
衝撃をうけた方も多いのではないでしょうか
受け入れがたい事実、、
なんで、、、
なぜ、、、

リアルに関わりがあるわけではない人だから当然だけど、、、
でも、、
リアルに関わっている人を思っても
外からは観えない
内側の苦悩や葛藤を知ることは
本当に難しいという事実を
突きつけられたような気がします

 
コロナ禍や
ここしばらく親のことを通して
老いやその先にある死、別れ
というものにむきあっていたこともあり
怒りと無念さもわいてきます
 
 
いのちあればこそ
ここだけは真実

本当に残念、、、
 
 
 
むかし
”もういなくなりたい”
そんな思いを抱えていたことがありました
 
人に悩みを相談するとかが苦手で
ひとりで抱え込んでしまうだけに
自分が病んでるのか
どんな具合なのかもわからないまま
たぶん結構悪化させていただろう
そんな時期を思いだしました
(ツラかった、、、)
 

タロットに出逢ったのはそんな時
 

人ではなく、カードと”話す”ことで
自分の姿に気づいたり
こっちを観ていけば、と 
視点をみせてくれるようで
いつのまにか
自分の立っている場所が変わっていました
 
OSHO禅タロット
人が人生で体験したり、陥ったりしやすいことや本質的な
目指すとよい視点やヒントが79枚のカードに描かれています
 
今朝一枚一枚並べながら
私たちの人生は
こんなにも彩り多くの場面を体験し
こんなにも多くの”質”を
味わっているんだなーと
あらためてしみじみ思いました


人生の豊さでもあり
苦悩や葛藤の元凶でもあり、、、


頑張って生きているものですワタシタチ
愛おしくなりますね
 
 
 
人に相談するのは
今でもあいかわらず苦手だけど
カードの世界観を学び、
自己対話のツールとして活用することで
自分を超えて
視点を広げることができる方法に
とても救われてきました


さらには人ともつながらせてもらえ
タロット仲間たちの存在や交流からは
その視点や世界の広がりに自由さが増し
人生の景色というようなものも
だいぶ変わったように思います


西洋タロットでは
ひとつの物事は
22の視点から観ることができる という
『パースペクティブ』という
考え方・世界観も学びました
 
ウェイト・スミス・タロット 大アルカナ
真ん中の”石(テーマ・事実・問題など)”は
周りにある22のカードの位置(世界観)によって観え方・感じ方・背景も異ります

 

タロットといえば占い
占いといえば当たるか当たらないか

それもあるけど
それだけじゃない
それらはホンの一面でしかなく


”相談相手”にもなりうる
寄り添ってくれる
そんなツールでもあるということ
 

しんどさから抜け出すには
こんな方法もあるって

自分のいる世界は
思っているより広くて
思っているより温かいところもある

そんなことに気づけるひとつの方法として
知ってもらいたいなーと思う
 
タロットに出逢うまで
タロットに1μの興味もなかった自分が
切なる思いでこんなことを書いているから
不思議なもの

人ひとりの世界には
可能性の欠片が
たくさんちりばめられているから 

生きていればこそ
 
生きているだけで尊いから
生きていこう
 
 



最後に、、、

絶対に受け入れ難いけれど
あの素敵な笑顔をもっとみたかったけど
生きることに精一杯がんばったのだと信じ
三浦春馬さんのご冥福をお祈りいたします