天気のアップダウンが激しいですね
皆さまご自愛くださいませ
さて
先日、自己鑑定した時に
自分へのアドバイスに出たのが
「比較」のカードでした
雲の5 比較
樹があることで竹を知ることができ
竹があることで、樹を知ることができ
他を知り、違いを知り 自分を知る
それぞれの持ち味や豊かさ、個性を
認識できます
比較
比べる というと
幼い頃の記憶ですが
母はよく私の幼なじみを気にする人でした
テストがあれば
「○○ちゃんはどうだったの?」
クラスの委員などを決めた時は
「△△ちゃんは生徒会なんとかだってね」
マラソン大会のときも
なにかの発表会のときも
決まって
必ず
だれだれはどうだったの?
と聞いてくる母でした
今でも聞いてきます!!!
母のテーマなんです きっと
そこで例えば
私の点数が悪かったりしても
あんたはダメだね、、などとは決して
言われるわけではないのですけど
なんでしょう、、、
喜んではいない母親の顔をみながら
罪悪感や劣等感を感じて
きかれるたびに
それを育てていくことになり
同時に
子どものワタシは
大好きなお母さんに喜んでほしくて
がんばることをひそかに決意して
ひとりがんばっていた(たぶん)
そんなおかげ?で中学までは優等生でしたけど
志望校に合格し喜んでもらえたことで満足して
目標がなくなり優等生キャラ崩壊しました
そんな幼い頃の体験から
言葉はどうあれ
比べることは
=評価されること だと
自動的に
聴いてしまっていたワタシ
でも
それ
ホント???
こんなに罪悪感や劣等感が強い大人になったのは
まったく親のせいです
なんて、親を悪者にしたいわけではありません
この母と子の関わりあい
当時はそうしかなかったのです(たぶん)
大人も日々いろいろ悩みながら生きていることは
自分で証明ずみだしね
かといって
子どものうちは受身でしかなく
育った環境ってやっぱり影響大きいことは
何度となくしみじみ思います
意図せず作られてしまうそんなパターンだけど
気づくことで解放されるチャンスはいつでもあって
いまどうしたい?? を新しく考えて
自由に選択していくことはできるのですよね
気づく機会をどう持つか 大事かな
体のように思考も、感情も、
新陳代謝していけたらいいです
書くほどに簡単にはできないことは
身に染みてじゅうじゅう承知でございますが(≧▽≦)💦
それでもやってみるのです♪
そんなわけで
この「比較」のアドバイス
として観てみると
評価をやめる
罪悪感、劣等感、逆に優越感など感じていたら
それは評価の枠にはまってますよ と
↑評価の産物
評価から離れて
自分のキャラとか持ち味とか
よ~く観察してつかんでみるといいよ
そんなアドバイスと読みました
自分キャラ研究しよう
あっちこっち凸凹な自分だけど
この自分を面白がってみるしかないね
かなり開き直ってみました
まわりの人たちのいろんなキャラも
面白がってみよう~