昨日、クリニックに行きました。
いつもよりも報告事項がたくさんありました。

・サインバルタが合わなかったこと
・エビリファイを0.5mgで再開したこと
・エビリファイを飲まなくても息苦しさが出ること
・ビカモールを飲むと、ふるえの他にも眠気や怠さが出ることがあること

そして家族のこと。
1年様子を見たが良くなるどころか悪くなりつつあること
本人も治したいという意志はあるけれど行動が伴わないこと
このままでは自分が持たないと思っていること

など。


主治医の指示は

・家族も放置はできないが、今は自分の体勢を立て直すことを最優先にする
・つらいかも知れないが、エビリファイとビカモールでしのいで行く
・年内に最低でももう一度は受診する

でした。

そして、今すぐではないが今後の可能性として、家族との生活をどうして行くのかを考えてみて、と言われました。

家族が元気になれればもちろんそれが一番いい。
仕事はできなくても、家事ができるまで回復できれば家のことを任せて私は仕事に専念して生活していく、という道もあるかもしれない。

でも、良くならない、もしくはさらに悪くなってしまった場合はどうするのか。
このままの状態が続いて共倒れになる前に、
家族とは一度別居して生活保護を受けさせて、私の生活をとにかく守るのか。
私自身がいくつも爆弾を抱えた危険な状態のまま、言い方は悪いが家族をペットのように面倒見て生きていく覚悟を決められるか。

など…。

もちろん結論はまだ出せません。

しかし、私は主治医の「ペット」という表現にいたく感動しました。
なんて言い得て妙なんだ、と。

そう、家族に家事や収入の負担を求めるから自分にストレスがかかる。
家事や収入どころか、面倒見ているだけで経済的・身体的・精神的にマイナスなのだから。
家族の人権を無視しているかもしれないけど、これを「ペット」と割り切れれば、自分が楽になる。
ペットなら、家事も仕事もしなくていい。衣食住、医療費もすべて私の負担。
家族の役割は、ただ一緒に暮らして、時々私を元気づけるだけ。

よく考えたら、今の家族はまさにペット。
いれば手間もお金もかかるだけだけど、もしいなくなったとしたら。それはやっぱり寂しいと思う。

今までは、なんで自分ばっかりこんな思いしなきゃいけないのか、家族は何もしないなんて不公平じゃないか、早く治して私の負担を減らしてくれとストレスばかりためていました。
でも、思い切って「ペットと暮らしているんだ」と考えてみる。
そうとらえて生きていくのもひとつの道かもしれないと思えてきました。

これが自分をを変えるっていうことなんだ。
もしかしたらこれは認知行動療法のひとつなのかもしれません。私はちゃんと認知行動療法を受けたことがないからよくはわからないのだけど。

結論は、出さなくてもいいのかもしれない。
昨日の診察で私のストレスは確実に軽減したので、このままの状態を維持できればそれはそれで結果オーライなのかも。
十年以上私を診てきた主治医だからこそ、こうアドバイスできたと言うことなのでしょうか。
久しぶりに目からうろこが落ちた気がしました。