昨日から、あさりとあおさのペペロンチーノを作ろう!と思い立ち(ただ、あおさのパッケージの裏にレシピがのってただけなんたけどね)、
‥
えっ?
砂出し?
って、そういや今まで一度もやったことないわ!
(主婦の方々に笑われそう)
パスタも好きだし、あさりも好きだけど、今まで缶詰とか、そうゆう下処理されたものしか買ったことなかった。
まぁそれでいいんだけどさ。
そして、寅年だけにtryの年で。
一晩、砂出し‥
そして本日。
えっ?
もう一日経ったけど、開いてないあさりもあるよ?
またもや、検索‥
あ、50℃で洗うと瞬速で、砂出しできるみたい。
食べててじゃりってなるのはやだもんなぁ。
一晩塩水につけたものの、念のためこちらの方法もtry!
そんなこんなで、無事にペペロンチーノを作り終えたわけですが、
食べてみて‥
しょっ
ぱ!!!!!
いやまぁ、食べれるけどさ。
あさりに気を取られて、味付け具合考えず「えいやー!」って塩入れたら、しょっぱい!
ありゃりゃ、こんな年になっても、失敗するものですね。
でもね、挑戦って大事だからね。
さて、今日はというと、ペペロンチーノが本題ではない。笑
今日は仕事始めだったわけですが、しょっぱな寝坊しそうになったよね。
そりゃ昨日までめちゃゆったりなお正月休みを過ごしてたから。職場へ行くと、まだまだお正月休みを取っている方もいて、がらんとしていて。
そんなゆったりな雰囲気もあって、仲良しの同僚女子とお昼ごはんを食べに外へ。職場全体が本格的に始動するまで、ちょっとゆったりとランチタイムがとれて幸せ。
彼女といると、とてもほっとする。
私のこどもっぽい一面もいつもゆるしてくれている彼女。
そして、私たちのお気に入りのお店へ。
偶然にも年末にお茶しに来たときと同じ席に、その時と同じ神対応の店員さんが、通してくれた。
私も彼女も、めちゃ美味しいけど、めちゃ食べにくいサンドイッチを頬張った。
それから、お正月休みのことなど、いろんな話をして‥
ふいに、
「話したら、ちょっと前向きになった」
と笑顔で言ってくれた彼女を見て、私はすごくうれしかったし、ほっとした。
私だって(むしろ私のが)おしゃべりだから、彼女の話を傾聴できているのかなと思っていたけれど、私だからこそ聞ける話も、あったのかなと。
そうか。
仕事も、誰かにとっても、
“私だからこそ”の役割があるんだ。
ただし、
その仕事っていうのも、やがてAIにとって代わられていくものだってあるだろう。
私がやっている職務も、事務的なものはきっと数年後にはなくなっている。基本、creativeのない事務的な作業は、もういらない。
はっきりした言い方で失礼かもしれないけれど、誰にでもできる仕事や雑務は、ロボットでもできる。
今後なくなるであろう仕事はみえている。
でも今日、彼女とサンドイッチを食べたお店のウエイトレスさんはどうだろう?
たしかにロボットでもいいかもしれない。
でも、言葉遣いやその場での対応力、そして笑顔。
つまりウエイトレスさんは、自身のcompassionを最大限に活かして接客をしていたのだ。
ロボットはあのウエイトレスさんには勝てない。
だから私は、先日と同じウエイトレスさんだとわかったのだ。
ロボットだったら、1号と2号の風貌が同じなら、わからない。さらに、その場での神対応は、できないだろう。
そして、
職人技の方はcreativeに“物と接する”仕事だけど、communicationを必要とする“人と接する”仕事も、ある領域ではきっと残っていくだろう。
でもそれを、機械的にやっていたら、楽だけど違う。
それならよっぽどロボットのほうがうまくやってくれる。
そうじゃない、本物の、“professional”とは。
ちなみに、先日読んだ「皇の時代」の本には、“魂職”というネーミングで登場する。
まぁこんくらいで楽してお金稼いで生活できればっていう考え方は、人それぞれだからいいんだけれど、“professional”ではない。
自分を活かして、楽しくお金を稼いで、働くことで自分と人と社会の喜びにつながっていく‥
これが、本物じゃないかな。
子どもたちにも、
そんな自分の“役割=仕事”を、見つけていってほしい。
私も、今の役割を活かして、子どもたちのアシストができたらいいなと思っています。