このシリーズのつづき

 

 

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心が癒される

 

知覚が変化する。

 

(この世は心の投影だから、心が癒されると愛の視点で見えるようになってくる、ということ)

 

 

 

 

 

それは、そんな風に「見よう」とか

 

そう「思おう」「とらえよう」と

 

しているのではなくて

 

 

自然と勝手に

 

そう見えるようになるから不思議キラキラ

  (変化する)

 

 

 

 

 

だから「奇跡のコース」ではそれらを

 

奇跡体験と言っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、心が癒されるには…?

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

自我思考

カチカチに閉ざしている心

 

 

 

まずは母親問題に目を向けると

ほぐれやすくなるかも…キラキラ

 

と私は思う。








なぜなら「母親と子」は

「神と神の子」の関係性と似ていて



だから、母親問題を取り組むと

神と一体を思い出していく道

(「神の愛の中に在る」と思い出していく道)

入りやすくなるような気がするのだキラキラ







特に過去の私のように

親に対してのモヤモヤが強くあって

心が固くなっているタイプ




母親問題取り組むことで

心が柔らかくなっていき

心が開きやすくなるかな、と思う。



 

 







また、母親問題ではなくても

「自分の心」に目を向けることをして

 

 

未消化な感情の解放などをしていたら


内側から「本当のわたし(聖霊)」


顔を出し始めてくるかな、と思う。






すると

「自分」を客観視する力がついてきて


心の声もキャッチしやすくなってきて

 






そうしたら


祈りや瞑想や坐禅、深く内側に入るヨガや音叉ヒーリング、霊的視点で丁寧に内側を見つめるセラピー系などなど…


スピ系のもの興味がわいて

やりたくなってきて

 

 

 

それらをやっていたら

 

霊性が開花し出して

 

 

注意「スピ系のもの」と言っても、悪霊やお墓がどうのとか、内側には入らずに「表面的にワクワクするだけの引き寄せや占い」や、怪しそうな儀式がおこなわれたり、独裁的な教祖様を崇拝する団体に所属する…などとは違いますよ〜照れ)

 

 






そうしたら

神や聖霊に意識が向きやすく
なって

 

信じられるようにもなってきて
(感じられるようになってきて)



神の愛

何となくわかるように


なってくるかな、と思うピンクハート

 







そしてそうしたら

これまで以上により深く深く

内側に入っていけるようになって





「自分」を客観視する力

より高まってきて






そうしたら

「自我(恐れ)」「聖霊(愛)」の違い

はっきり認識できるようになって




自我解体がしやすくなって





そうしてだんだんと

神と一体を思い出せるように
(ワンネス)


なってくるんじゃないか…と思うニコニコキラキラ

(自体験より)





 








心が真に癒されるのは

聖霊と繋がることで起こるキラキラ

(神の愛)




そして、心が癒されたら

これまで見えていたことが

違って見えてきたりする
キラキラ






それを私は

心がつぶれたときに体験をした。








当時の私は

スピリチュアルもコースも知らず

神や見えない世界も全否定していたけれど




お祈り本気で始めたことで

聖霊に導かれながら

心の訂正がおこなわれていった。



 

 





心を変えよう!なんて

1ミリも思っていなかったけれど


浮かんでくるメッセージだけに

従って過ごしていたら



内側からの愛に包まれて癒されるキラキラ

という体験もし出して…







そうしたら


お祈りを始めて1年後には

「心が生まれ変わったおねがいキラキラ

とはっきり自覚したくらい

勝手に変化していた。






 

そしてそうしたら

 

息子達への見方やとらえ方が

 

これまでとは全く違うようになり

 

 

すべては「私の不安」というフィルター

 

見ていただけだったのだ、と

 

気づくようになった。

 

 

 

 

そして、そうしたら

 

ただただ愛おしいだけキラキラになって

 

 

 

 

そうしたらそのあと

 

世の中への見え方も変化していた。

 


それがとても不思議だったおねがいキラキラ

 

 

 

 

 

 

 




 

 それらはまさしく奇跡体験


神秘体験だったキラキラ

 

 

 















でも、これらの体験は

誰でも知らず知らずに

多かれ少なかれ

しているんじゃないか…と思う。








不登校の時の私の体験は

 

大変な出来事だったから

 

とてもわかりやすかったけれど




心の緊張がほぐれた瞬間とか

感動的な体験をした時とか

 

何かや誰かに愛おしさがあふれた

純粋な喜びの涙があふれた時などなど…

 

 

 

 


普段の何気ない出来事の中でも

 

(どんな小さなことであっても)

神の愛を知る体験をしているキラキラ

と、私は思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コースでは

 

「奇跡に序列はない」

 

と言っている。

 

 

 

 

それは

 

私の心がつぶれて体験した奇跡

 

心の緊張が一瞬ほぐれて…という奇跡

 

 

 

起こった出来事そのものには

 

大小があったとしても

 

 

 

「神の愛を知る」という

 

部分だけで見れば

 

同じ体験をしていることになる…

 

 

 

 

だから「序列はない」と

 

言っているのかな…と思うのだけど

 

 



だから、私は


誰でも多かれ少なかれ


神と一体体験はしているのだと…思うキラキラ

 (神秘体験、奇跡体験、啓示体験など)




ただ、それがそうなのだとは


なかなか気づけないでいたりするけれどショボーン

 







心が喜びにあふれる

スピリチュアル不思議体験でもそうほっこり


 

 




それらが起こると


毎回、純粋にワクワクラブラブしているのに




自我はすぐに

たまたまだよ、偶然だよ、思い込みなんじゃないか?妄想なんじゃないか?…

否定してくる。



そうして

 

「なかったこと」にしようとするにやり








でも…
キラキラ










霊性が開花し出して


自我と聖霊の違い

認識できるようになって


内側からの愛を感じられるようになると




それらは偶然でも

 

思い込みでも妄想でもないと

わかるようになってくるキラキラ




 

 

 

それらは

 

神の愛を体験しているのだと



心が柔らかくなってきたら

わかるようになってくるキラキラ







そしてそうしたら

すごーく楽しくなって

自然と感謝もわいてきて

平安に包まれるようになる。



注意スピリチュアルな体験でも、恐ろしくて、おどろおどろしくて、苦しくて、緊張するような体験、恐れや罪悪感を抱かせるような声が聞こえたりなど…は、自我によるトリック→神と一体を思い出させないようにする幻想なので、その見極めは大切ですねニコニコ)













だから聖霊の元

コツコツと自我解体をおこなう…

 

 

 

 

ということが


神を思い出す道なのだと

 

私は思うのだけど






そのためには

「神は在る」が実相なのだと

知る必要があって

 

 

 

 

 

それ以上に

 

「自我の私」

 

よく認識する必要もあって

 

 

その在り方をコースは

丁寧に丁寧に説いてくれているのだったキラキラ

 

 

 

(注意内側に深く入らず「自我」を認識することもしないまま、神と一体を思い出そうとすると「私は神で創造主だから、私が世界を救う!」と自惚れ勘違いが起こりだし、愛とは逆の方向へ突き進んでしまうことがあります汗→危うくそうなりかけた経験ありにやりあせる)




つづく