日光御成道川口宿

日光御成道は中山道の本郷追分から現在の埼玉県さいたま市の岩槻に至り、幸手追分で五街道の一つ日光街道に続く脇往還です。

五街道は江戸時代初期(17世紀初)に整備された幹線道路で江戸を起点に日本各地に至った5本の道路のことです。

言わば、江戸時代日本を人体に例えれば、五街道は、江戸という心臓を中心に旅人や各地の産物が行き交う大動脈のようなものです。

そして、五街道以外の主要道路が脇往還(わきおうかん)、道と道の分岐点を追分(おいわけ)と言いました。

ところで、日光御成道という名称は、「徳川将軍たちが日光にいらっしゃる道」の意味です。

日光には合戦が長い間相次いだ戦国時代の終止符を打って日本を政治的に統一した徳川家康を祀る日光東照宮があり、歴代の将軍たちは定期的に日光に参拝しました。

川口宿は現在の東京と埼玉県を分ける荒川の北岸に位置する日光御成道の宿場町の一つでした。

宿場町は五街道など全国の主要道路の駅のような町で、すなわち旅籠(はたご)という宿泊施設が集まっていた町の意味です。

川口宿付近は、古くから鋳物工業で有名な地域で、鋳造技術の伝統は現在も継承されています。

また、この地域の味噌もよく知られていました。
川口宿は鋳物や味噌、野菜などの特産物を川を利用して運搬した水運で発展した宿場町です。

川口宿は荒川対岸の岩渕宿と合同で問屋場を運営していた合宿(あいしゅく)の一つでした。

現在の川口には往時を彷彿とさせる宿場町時代の町並みはほとんど失われてしまいましたが、時々見ることのできる古い民家などは残っていますし、JR川口駅から10分程度歩けば川口宿絵図碑という宿場町時代の姿を描いた江戸時代の絵図に関する記念碑があります。
住民でも何かはあるけど何気なく通り過ぎてしまうようなモニュメントですが、時々は立ち止まってその町の昔の姿に想いを向けることも楽しいかもしれません。
そんな小さなモニュメントがあなたの町にもあるかもしれません。
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