昨日、ばあちゃんが掃除中にあるものを見つけた。
死んだじいちゃんがつけていた日記だ。
「これ見てよ、日記が7日で止まっとるんよ」
じいちゃんが倒れたのは同じ月の14日。
空白の1週間。
日記が止まるって、あたしにはよくあること。
1日欠かしてしまうと 次の日に前の日のを書くようになり… だんだん追いつかなくなり… やめる。
再開するたびに心機一転日記帳を変え、そうして増えていった日記帳は数知れない笑
でも
じいちゃんの日記歴は、ものすごおおおおおおおおおおおおおおおおく
長い。
若い時から、82歳になるまで、毎日欠かさず書いていた。
ギネスで表彰されたほど。
そのじいちゃんの日記が,
ぱったり止まっていた。
昨日、目を通しながら 涙が止まらなくなった。
アメリカから電話を入れるといつも
「じいちゃんは元気だから 心配しなくていいよ、夏休みに会おうね」
と言ってたじいちゃん。
その言葉を、素直に受け止めてしまっていた。
じいちゃんの日記には、体力がなくなってゆく経過などが鮮明に綴られていた。
「体力が落ち、湯船から あがれない。」
「肩が凝り、日記を書くのも大儀である。」
そして、いつも1ページにぎっしり並んでいた文字が、日に日に減り、最後には半分も埋まっていなかった。
筆圧も弱まり、字を読むのも簡単ではなかった。
きっと
本人が一番分かっていたのだろう。
体の中で何が起きていたのか。
今までできていたことができなくなる。
悔しかったと思う。
アメリカへ帰ってまもなく、地元の友達が手紙をくれた。
彼女は中学のときに ガンで母親を 亡くしている。
…最初はしょっちゅうその人のことを思い出すんだけど、死を受け止めているのか、忘れていってしまうのか、だんだん思い出すことが少なくなる。
たまーに思い出して、死の直後よりも悲しくなってしまうこともあるけど
それだけ大切な人だったんだって思うと、思い出すのは悲しいけど、その人のことをかんがえることができてよかったなって思うよ。…
暖かい手紙だった。
死ぬって不思議。
ずっと一緒にいた人ならなおさら、 「もういない」って実感できない。
うまれて20年間、人の死に直面したことがなかった。
「いない」って何なんだろう?
ほんとはまだ 「いる」のかな。
友達も言ってた。
どこかに「いて」、自分を見ててくれる気がするって。
そう思うと寂しくないって。