物心ついた頃、私は母と1つ上の兄との3人家族。

いわゆる母子家庭で、母子寮という所で暮らしていた。

当時住んでいた母子寮は、6畳一間で部屋を出てすぐにキッチンとトイレがあった。
キッチンはお隣さんと向かい合わせ。

お風呂はなく、近所に銭湯があった。


母子寮には職員がいて、事務所には常に4〜6人の職員がいた。
外出する時など職員に声をかけなければいけない。

そして門限があり、22時に玄関の鍵が閉まる。
外泊は前もって届出しなければいけない。


他にも細かな規則が色々あった。


私の幼少期の記憶は、たぶん4歳頃からの記憶が残ってる。



母子家庭だから、平日は母は朝から夕方まで仕事。
その間、私と兄は保育園へ預けられていた。

しかし時々、保育園のお迎えに来てくれない事があった。
外は真っ暗で、保育園の友達はみんな親が迎えに来て帰っていく。

みんなが帰り、私と兄と保育士の3人になる。
保育士も早く帰りたかっただろうさ。

私と兄は、母が迎えに来ない事で不安になっていた。
たぶん、夜8時とか9時とかまで保育園にいたと思う。

お腹もすくし、不安だし…

最終的に、保育士が母子寮へ連絡してくれる。

しかし夜8時とか9時だと母子寮の職員もほとんどが帰宅していて、当直の職員しかいない。

職員が2人残っている時は、職員が迎えに来てくれた。
当直の職員だけの時は、保育士が母子寮まで送ってくれていた。


なぜ迎えに来ないのか…
仕事が終わってから飲みに行っていたのだ。

迎えに来ない日の母は決まって、門限の22時を過ぎてから帰宅だった。

酔っ払ってるし、門限を過ぎた事で当直の職員に怒られて泣きながら部屋に入ってくる。

そして、気持ち悪い…と言って嘔吐する。
寝ている私たちを起こして、洗面器を持って来いだの水を持って来いだのと騒ぐ。

保育園の迎えにも来なくて、夜ご飯も食べずにいる私と兄の事など何も考えてはいない。



そして週末は決まって、私と兄は託児所に預けられる。
金曜日の夜から預けられ、日曜日の夜に迎えに来るパターンが多かった。


そして、いつものように託児所に預けられたある週末の出来事。

日曜日の夜になっても迎えに来なかった。
そのまま託児所に泊まり、月曜日の夜も迎えに来ない。
火曜日、水曜日…やはり迎えに来ない。

託児所の人が緊急連絡先として登録されてた母子寮に電話してくれた。

母子寮に母は帰って来ていないと言われたそうだ。

そして金曜日、母子寮の寮長さんが託児所に私と兄を迎えに来てくれた。

母の行方がわからないようだった。


母に捨てられたのだとわかった。


母にとって、私と兄が邪魔だったのは幼いながらに薄々気づいていた。
しかし、いざ捨てられたのだとわかった瞬間、何とも言えない気持ちになった。

悲しいとか寂しいとか怒りとかそんなものではなく、何と表現すればいいかわからない気持ち。



私と兄はとりあえず母子寮の部屋に戻り、寮長さんが毎日母を探してくれていた。

その間は母子寮の職員が交代で私と兄の食事を作ってくれたり、銭湯へ連れて行ってくれたり…全ての世話をしてくれていた。
母以上にお世話してくれた。




しばらくして、母が見つかった。



『お母さんを迎えに行こう』

と寮長さんから言われた私と兄は、首を横に振った。


それでも寮長さんは、力ずくで私と兄を着替えさせた。

持っている服の中で一番お洒落な服に着替えさせられた。


電車に乗って、何度か乗り換えて…
どこへ行くのかもわからず、ただ連れて行かれてる。



そして母と再開。

母は寮長さんを見るなり泣きじゃくった。
私たちとは目を合わせない。

寮長さんが母に怒鳴っていた。
色々言ってて全部は覚えていないが、覚えてる言葉がある。

『捨てるなら最後くらい、この子たちの幸せを考えて捨てなさい‼️』



捨てる時点で幸せもクソもないんじゃないか…?


当時はそう思った。


母にどんな事情があったのかはわからない。
もはや、事情なんてなかったんじゃないかと思う。
単に自分が自由になれない事で私たちが邪魔だっただけなんじゃないかと思う。



寮長さんにどう説得されたのかはわからないけど、最終的に母は私たちをまた育てる決断をした。




そして母子寮での生活がまた始まった。



私たちは、またいつ捨てられるかわからない不安を抱えながら母との生活を再開させるしかなかった。