私が子供の頃に良く見ていた番組
「できるかな」
朝日新聞の記事を読んで、20年も続いた「本気の」大人たちが作っていたスゴい番組だったことを知った
あのオープニングの音楽は今でも耳に残る不思議な魅力があったなーと思い出す
全くしゃべらないノッポさんを子供の頃は当たり前の存在として見ていたけれど
言葉を話さなくても、言葉で言い表せないほどの何かを伝えてくれてたような気がする。
(ノッポさんはしゃべれないのではありません)
この記事を書いた記者さんは私と同じ吃音を持つ女性だけれど
ノッポさんの存在にスゴく救われていたのだろうな
記事の後半の「尊厳」について書かれたところ
「コンプレックスに感じることも、知られたくないと思うことも、すべて含めてかけがえのないあなた自身なのですよ」
そしてスゴく共感するところ
「自らがマイノリティであると表明する勇気と同じくらい、秘めていたいという意思は尊重されなくてはならないはずだ」
私は今でさえ吃音を知ってもらう活動をしているが、10年ほど前までは自分の吃音を嫌い同じ吃音を持つ仲間とも一線を引いていた気がする。
自分の吃音も他人の吃音も見たくなかったのだ。
必死で吃音を隠していた頃の自分も吃音を伝えている自分もかけがえのない自分自身
そして、吃音を秘めていたい人のその意思も大切にされなければならない。
吃音を伝えている私が正しいのでも何でもない。
私は伝えたいから伝えているだけだもの。
この記事を読んで、必死で吃音から逃げて隠して強い自分を演じてた時間も大切に思いたいなと思った
「互いの心を、尊厳を守り合うことこそが共に生きるということだ」
ほんまにそうやな
大切なことを忘れてはいけないね